2006年05月22日

●「間宮兄弟」

「映画の天才」試写で「間宮兄弟」を観た。

30才を過ぎても恋人もなく、同居して楽しく2人で暮らす兄弟の日常を描いた作品。
殺人事件が起こるわけでもなく、宇宙人が攻めてくるわけでもなく、ドラマティックな大恋愛が展開されるわけでもない。
ただ平凡な日常に毛が生えたようなイベントが起こり、それでも兄弟の日々が大きく変わるわけではなく、平和で小さな幸せを感じながら生きている…という物語。

退屈といえば退屈。
映画にカタルシスを求めるのなら全くの期待はずれになること請け合いだ。
僕にも弟がいるのだが、いい歳をして兄弟でこんなに仲良く同居しているという設定自体が信じられず、その時点で感情移入できずに一歩引いて観ている自分がいた。

では観る価値がないのかといえば、そうじゃないのが映画の面白いところ。
5年後、10年後、脳の粘膜にまとわりつくように世界観や空気感が残っているのは、ドキドキハラハラ興奮するハリウッド映画よりもきっとこの手の映画なのだ。
そしてその記憶はひょんなことから思考の表層に浮かび上がり、物の考え方や生き方に影響を及ぼす。
上手く言えないが、脳みその奥の方にインスパイアのタイマーをセットされたような。

毎度のことだが、自分では積極的に観ないであろう作品との出会いを提供してくれる、この企画に感謝。

2006年05月21日

●「間宮兄弟」

「映画の天才」試写で「間宮兄弟」を観た。

30才を過ぎても恋人もなく、同居して楽しく2人で暮らす兄弟の日常を描いた作品。
殺人事件が起こるわけでもなく、宇宙人が攻めてくるわけでもなく、ドラマティックな大恋愛が展開されるわけでもない。
ただ平凡な日常に毛が生えたようなイベントが起こり、それでも兄弟の日々が大きく変わるわけではなく、平和で小さな幸せを感じながら生きている…という物語。

退屈といえば退屈。
映画にカタルシスを求めるのなら全くの期待はずれになること請け合いだ。
僕にも弟がいるのだが、いい歳をして兄弟でこんなに仲良く同居しているという設定自体が信じられず、その時点で感情移入できずに一歩引いて観ている自分がいた。

では観る価値がないのかといえば、そうじゃないのが映画の面白いところ。
5年後、10年後、脳の粘膜にまとわりつくように世界観や空気感が残っているのは、ドキドキハラハラ興奮するハリウッド映画よりもきっとこの手の映画なのだ。
そしてその記憶はひょんなことから思考の表層に浮かび上がり、物の考え方や生き方に影響を及ぼす。
上手く言えないが、脳みその奥の方にインスパイアのタイマーをセットされたような。

毎度のことだが、自分では積極的に観ないであろう作品との出会いを提供してくれる、この企画に感謝。

2006年05月20日

●「間宮兄弟」

「映画の天才」試写で「間宮兄弟」を観た。

30才を過ぎても恋人もなく、同居して楽しく2人で暮らす兄弟の日常を描いた作品。
殺人事件が起こるわけでもなく、宇宙人が攻めてくるわけでもなく、ドラマティックな大恋愛が展開されるわけでもない。
ただ平凡な日常に毛が生えたようなイベントが起こり、それでも兄弟の日々が大きく変わるわけではなく、平和で小さな幸せを感じながら生きている…という物語。

退屈といえば退屈。
映画にカタルシスを求めるのなら全くの期待はずれになること請け合いだ。
僕にも弟がいるのだが、いい歳をして兄弟でこんなに仲良く同居しているという設定自体が信じられず、その時点で感情移入できずに一歩引いて観ている自分がいた。

では観る価値がないのかといえば、そうじゃないのが映画の面白いところ。
5年後、10年後、脳の粘膜にまとわりつくように世界観や空気感が残っているのは、ドキドキハラハラ興奮するハリウッド映画よりもきっとこの手の映画なのだ。
そしてその記憶はひょんなことから思考の表層に浮かび上がり、物の考え方や生き方に影響を及ぼす。
上手く言えないが、脳みその奥の方にインスパイアのタイマーをセットされたような。

毎度のことだが、自分では積極的に観ないであろう作品との出会いを提供してくれる、この企画に感謝。

●「間宮兄弟」

「映画の天才」試写で「間宮兄弟」を観た。

30才を過ぎても恋人もなく、同居して楽しく2人で暮らす兄弟の日常を描いた作品。
殺人事件が起こるわけでもなく、宇宙人が攻めてくるわけでもなく、ドラマティックな大恋愛が展開されるわけでもない。
ただ平凡な日常に毛が生えたようなイベントが起こり、それでも兄弟の日々が大きく変わるわけではなく、平和で小さな幸せを感じながら生きている…という物語。

退屈といえば退屈。
映画にカタルシスを求めるのなら全くの期待はずれになること請け合いだ。
僕にも弟がいるのだが、いい歳をして兄弟でこんなに仲良く同居しているという設定自体が信じられず、その時点で感情移入できずに一歩引いて観ている自分がいた。

では観る価値がないのかといえば、そうじゃないのが映画の面白いところ。
5年後、10年後、脳の粘膜にまとわりつくように世界観や空気感が残っているのは、ドキドキハラハラ興奮するハリウッド映画よりもきっとこの手の映画なのだ。
そしてその記憶はひょんなことから思考の表層に浮かび上がり、物の考え方や生き方に影響を及ぼす。
上手く言えないが、脳みその奥の方にインスパイアのタイマーをセットされたような。

毎度のことだが、自分では積極的に観ないであろう作品との出会いを提供してくれる、この企画に感謝。

2006年05月06日

●「ナイロビの蜂」

「映画の天才」試写で「ナイロビの蜂」を観た。

雄大なアフリカの大地を舞台に描かれたラブストーリー。
イギリス外交官の夫が、殺された妻の生前の行動を追ううちに真実の愛に気づく…という物語なのだが、一方で大手製薬会社が貧しいアフリカの人々を騙して人体実験を行っているという社会派の要素があって、むしろ映像的にもそのインパクトが強い。
配給会社としては宣伝が難しい作品だろうなと思う。
まぁ、最大公約数の関心を誘うにはラブストーリーとして売るのが正解なんだろうけど。

いい映画だと思う。
だけど、個人的に今ひとつ乗り切れないのは、主人公の夫婦に感情移入しにくかったから。
官僚と製薬会社の癒着を暴こうとするNGOのメンバーであり、その陰謀に巻き込まれて殺される妻は理想主義者に過ぎて、いい加減人間の僕には近寄りがたい。
一方、ガーデニングが唯一の趣味で事なかれ主義の夫(原題の「The Constant Gardener」は彼を比喩的に指しているのだろう)はいかにも官僚的でさえない男。
後半になってようやく映画ヒーローらしい動きを見せるのだが、そのモチベーションが上記の妻への愛だというところで僕は一歩引いてしまうのだ。

この辺がハリウッドではないイギリス映画たるゆえんなんだろうな。
画に描いたような典型的なハリウッドヒーローやハッピーエンドに食傷気味の人には新鮮だと思う。
ああ、妻のキャラにもうちょっと自分を疑う謙虚さというか人間的な深みがあったら、かなりグッと来ると思うんだけどなぁ。

2005年11月21日

●「7人のマッハ!!!!!!!」

映画の天才試写会で「7人のマッハ!!!!!!!」を見てきた。

タイ好きの僕としては見逃せないタイ映画。
ノーワイヤー、ノースタント、ノーCGというアクション映画の常識と人間の限界を遙かに超えたムエタイアクションで観客の度肝を抜いた「マッハ!!!!!!!!」制作チームによる新作と聞けば、チェックしないわけにはいかない。

ムエタイ、ラグビー、体操、テコンドー、セパタクローなどタイを代表するトップアスリートたちと、彼らが滞在する村を襲うゲリラとの闘い。
設定がぶっ飛んでいるだけかと思いきや、全編95分のほとんどがひたすら連続するアクションシーンという、物語もへったくれもない構成。
そのアクションシーンもハリウッドだったら俳優が泣いて逃げ出しそうな、まさに命がけで撮影されている迫力が観客を圧倒する。

くはぁ〜、こんな映画を作ったアンタたち最高!
最高の大バカだよ!
もし普通の映画だと思って見に行ったら、あきれるか怒り出すか大笑いすること請け合いだ。

アクション映画といえば香港=カンフーというイメージがあるが、今熱いのはムエタイをベースにしたタイ映画!
一度食べたらクセになるパクチーのような作品だ。

2005年11月09日

●「私の頭の中の消しゴム」と「四月の雪」

映画「私の頭の中の消しゴム」を観た。
先日観た「四月の雪」といい、この「私の頭の中の消しゴム」といい、感動のツボを的確に押さえていて心憎いばかりだ。

前者は妻に裏切られた夫と夫に裏切られた妻の許されない恋の葛藤を、後者は若年性アルツハイマーで記憶を失っていく妻への愛を描いた恋愛もの。
どちらも聞いただけで「切ない」という感情の動きを刺激される設定だが、シナリオや音楽も緻密に構成されていて期待を裏切らない。
エンタテイメントとしてよくできすぎていて、ひねくれ者の僕は感動する前に「巧いなぁ」と感心してしまったくらいだ。
韓国映画は、勧善懲悪ハッピーエンドのハリウッド映画とは違った方向で、最大公約数の観客を満足させる手法を見つけたのだろう。

世間を席巻する韓流ブームにはほとんど興味がなく、ヨン様くらいしか俳優も知らない流行遅れの僕だが、韓国で映画を中心にした映像産業が興隆してきた背景や人材育成システムには興味がある。
国境を越えてヒットする映画の制作者たちが国策としての人材育成政策から育ってきたと聞くとうらやましく思う。
日本でも最近コンテンツ制作支援なんていう動きを耳にするようになってきたが、ちゃんと機能してるのかなぁ?

2005年10月01日

●「サマータイムマシンブルース」

映画「サマータイムマシンブルース」を観てきた。

監督・プロデュースは、あの「踊る大捜査線」シリーズの本広克行。
「踊る」に比べれば全然地味な映画だが、これがしっかりエンタテイメントしていて面白い。
原作はヨーロッパ企画という劇団の舞台で、舞台版の作・演出を務め、映画版でも脚本を担当している上田誠はポスト三谷幸喜の呼び声も高いのだという。
映画の中にあえて残されている舞台の匂いが、いい意味で青臭く、青春ものとしての効果を高めている。

大ヒット映画の大物監督が小さな舞台をしっかりチェックしていて、気に入った若い才能と一緒にいい仕事をする。
そんなつながりがいい形で昇華した佳作だと思う。

2005年09月25日

●「NANA」

映画「NANA」を見るべく、まずは原作マンガを読む。
NANA (1) Posted by 鈴木 裕史 at 14:56 | Category : 映画 | Comments [0] | Trackbacks [0]

2005年09月11日

●「シン・シティ」

「映画の天才」試写会で「シン・シティ」を見てきた。

バイオレンス満載のハードボイルド。
普段だったら絶対観ないタイプの映画だが、そんな映画とも出会えるのが、この「映画の天才」プロジェクトの面白いところ。
物語に感情移入するとかそんなこととはまったく異なる次元で、男臭く血なまぐさい世界観とクールな映像美に圧倒される。
最後まで見ても面白いとはちっとも思わなかったけれど、とにかく乱暴でかつ緻密なパワーだけはイヤになるほど伝わってくる。

そんな中で一番グッと来たのはジェシカ・アルバの純粋なエロさ。
普段、洋物にはほとんど反応しない僕も「こんな女とヤッてみてぇ」(下品失礼!)と思わずワイルドになってしまうオーラを放っていた。

2005年07月18日

●「スターウォーズ」と「宇宙戦争」

全英オープン中継のため「創造市場」(テレビ朝日)が放送休止で今週はいつもよりちょっと楽なスケジュール。
話題の映画「スターウォーズ」と「宇宙戦争」もしっかり両方観に行ってきた。

番組で「1分41秒で分かる『スターウォーズ』の全て」なんていう企画をやった割に、個人的にはそれほど思い入れがあるわけではないのだけれど、「スターウォーズ」はそこそこ楽しめた。
シナリオやセリフもこれまでのエピソードに比べれば若干奥行きがある感じだったし。
それにしてもあれだけCGがスゴイとあっという間に世界観の中に引きずり込まれますな。
まあ、エピソード1と2で壮大な前フリを見せられてきたわけだから、そのくらいは楽しませてもらわなきゃね。

一方の「宇宙戦争」は、意外にも家族愛がメインテーマ。
アメリカ人はこういうの好きだろうなぁ、と思いながら淡々と観ている自分に気づく。
確かにスケールはでっかいし、CGもスゴイんだけど、もはやこのくらいでは驚かないくらい不感症になってしまっているのかも。
決してエンタテイメントしていないわけじゃないのだけれど、今ひとつのめり込めない感じ。
トム・クルーズ(というか、彼が選んで出る作品のセンス)が好きな僕としてはちょっと物足りないかな。

どちらも作品自体は平均点以上だと思うのだけれど、映画に感動するかどうかは期待値に左右されるからなぁ。
ま、両者とも期待値が高かった分、厳しくなってしまうということですかね。

2005年06月13日

●男3人で「電車男」

帰国と同時に待ちかまえていた仕事が波のように押し寄せて来た。
レギュラー番組の原稿に加えて、来年4月の新番組企画書とか、某映画プロモーションブログの原稿とか、週末の宿題も山盛りだ。

そんなときに限って仲間から電話がかかってくる。
「これから六本木に『電車男』見に行くんですけど、一緒に行きませんか?」
「電車男」はウェブで盛り上がっているときからチェックしてたのでどんな映画になったのか気になっていた。
というわけで、現実逃避を兼ねてしばし外出。

かなり前に森田芳光監督の「ハル」を観たときにも思ったことだが、ネットのテキストによるコミュニケーションを映像化するのは至難の業だ。
だから、今回もそんなに期待していなかったのだが、思ったよりはいい出来。
いい歳こいてすれっからしになった僕は、中谷美紀演じるエルメス嬢を「あんな女いねーよ!」と思って感情移入できないが、純粋な中高生なら十分ドキドキできる恋愛映画の王道だと思う。
そんな僕も、ネットで進行を追いかけていたときは別の意味でドキドキしていたんだけどな。

それにしても、そんな「電車男」を男3人で観てるのってどうなん?(笑)

2005年05月26日

●「運命じゃない人」

シネマスクランブルの中井くんに勧められて映画「運命じゃない人」を試写会で見てきた。

いやぁ、面白かった。
カンヌ国際映画祭でフランスの作家協会が最も優れた脚本に贈る「フランス作家協会賞」など4つの賞を獲得したと聞いて少しだけ期待してはいたのだが、期待以上のエンタテイメント。
ヨーロッパで評価される日本映画というとアート性の高い作品が多いけれど、これは良質の娯楽作品だ。

最大の見どころは、内田けんじ監督の手になる脚本。
男女5人のワンナイト・ドラマが綿密に組み立てられて1本の映画に結実している。
今どきの新人監督というと、MTV的なクールな映像に走ることが多い印象があるけれど、この作品の場合そうじゃないのが逆に好印象。
映画の命は脚本だというのがよく分かる。

見終わった後にほのぼのとした優しさと幸せな気持ちが残る「運命じゃない人」。
久しぶりに自信を持って人にオススメできる1本です。

2004年08月13日

●「華氏911」

映画「華氏911」のジャパンプレミアへ。
封切り前に作品を観る唯一のチャンスとあって、会場となったよみうりホールはほぼ満員。
J-wave「Jam the World」でお世話になった政治ジャーナリスト角谷浩一さんとばったり遭遇し、あいさつする。

その他にもテレビでおなじみの有名人の姿がちらほら見られたが、他の映画と違ったのは、菅直人、海部俊樹、海江田万里といった政治家が来ていたことだ。
きっと明日のワイドショーでは彼らのインタビューが流れることだろう。
話題作りの点で配給の作戦はかなり成功したと見た!

で、肝心の内容はといえば、見事なプロパガンダであると同時に一流のエンタテイメントだと思った。
プロパガンダとしての意味合いは角谷さんの「Jam the World」にお任せするとして(笑)、エンタテイメント職人としてのマイケル・ムーア監督は緻密な構成で観客をグイグイと「物語」に引きずり込んでいく。
膨大な量の映像資料から必要な素材を選び、自分が描きたい「物語」を組み立てる能力は天才的だ。

特に、前半では巧みなナレーションで会場が何度も大爆笑に包まれた。
たぶんあまり指摘されないだろうが、日本語字幕がかなりいい仕事をしている。
言葉の選び方といい、タイミングといい、あれだけ笑いを取るには相当苦労したはずだ。

ラストに向けての泣かせる部分はわりとオーソドックスな作りだが、実話の持つリアリティーと前半との落差が観客の涙腺をゆるくする感じ。
いずれにしても喜怒哀楽の感情を揺さぶるツボ満載で、1800円の元は十分取れると思う。

制作費を何億ドルもつぎ込まなければならないSFX大作ではハリウッドにかなわないだろうけれど、比較的安上がりなドキュメンタリーなら、テーマ次第で日本映画もけっこういけたりするんじゃないか、なんてことを考えたのだった。

2004年05月22日

●「世界の中心で、愛をさけぶ」

話題の映画「世界の中心で、愛をさけぶ」を観てきた。
本も映画もヒットしている作品の場合、本の方を先に読むことが多いのだけれど、今回は逆の順番。
BIGLOBEの映画サイト「シネマスクランブル」で一緒に仕事している中井君が厳しい評価をしていたのであまり期待していなかったのだけれど、僕的には十分OK。(^^)
僕が学生時代を過ごした80年代が舞台になっていたあたりでプラスアルファの感情移入ができたからかもしれない。

「大切な人を失った喪失感」という万人に訴える感動のツボはしっかり描かれているし、原作に無くおそらく後付けでキャスティングされたと思われる柴咲コウの役をめぐるツジツマも破綻がなく、むしろ物語に一翻のせている感じ。
なによりアキ役の長澤まさみがイイ!
ちょっとファンになっちゃったかも(笑)。

で、あとから原作も読む。
映画に増してど真ん中の直球という感じ。
小説としての細かいテクニックはあまりなく荒削りなところが逆に純粋と受け取られて売れているのかな。
内容とは別にタイトルの付け方や柴咲コウの推薦文など、これは編集者や出版社によるマーケティング情報戦の勝利だと思う。

それにしても300万部ってすごいな。
宇多田ヒカルの800万枚のときにも思ったけれど、ある臨界点を超えた瞬間、雪崩をうって売上げにドライブがかかるのが面白い。
どうせなら雪崩に巻き込まれる側じゃなく雪崩を起こす側にいたいもんだ。

2004年04月30日

●「殺人の追憶」

話題の韓国映画「殺人の追憶」を鑑賞。
韓国で実際に起きた連続殺人事件を元にしたサスペンスものだ。

僕の周りでは評判がとても高かったのだが、期待しすぎたのか僕にとってはちょっと肩すかし。
確かに悪くはないのだけれど、なんとなく“すごくよく出来た『火曜サスペンス劇場』“という趣きなのだ。

ただ、それは僕が実際の連続殺人事件から遠く離れていたからかもしれない。
リアルで事件に接していた韓国の人たちは受け止め方が明らかに違うだろう。
“事実は小説より奇なり”ともいうけれど、事実の重みは心の振れ幅の絶対値を明らかに大きくするだろうからだ。

限りなくリアルに近づこうとするフィクションと、まるでフィクションとしか思えないリアル。
情報が多すぎて脳みそが不感症気味になっている僕には、後者のパワーが必要かもな、な〜んてことを考えた。