2~3日前からちょっと風邪気味。

別に熱があるとか咳が出るとかではないのだけれど、のどが痛くてタンが出る。

ま、普段の生活には影響はないから大丈夫だろう。 いつものように学校へ。

面白かったのはやはり会話のクラス。

昨日に引き続き「メディアと広告」がトピックだ。

「あなたが架空の商品を売りたいと仮定してメディア広告戦略を考えて発表しなさい」というのがお題。

僕は「大量のテレビスポットで商品名を認知させ、新聞広告で商品の特徴を詳しく説明し、店頭ポスターで衝動買いを誘う」ってな戦略をプレゼンした。

クラスディスカッションではメディアとしてのインターネットの特徴や、商品をニュースとしてメディアに取り上げてもらうノンペイドパブリシティーも議題になる。

広告論の授業じゃないから突っ込んだ議論になるはずもないけれど、それでも興味のあるトピックについて話すのは面白い。

帰宅して「情報テロ ~サイバースペースという戦場」(江畑謙介・著/日経BP社)を読み始める。

情報化社会が進むほど、その情報操作、ないしは正確な情報伝達の確保が大きな意味を持つようになってきている。第二次大戦中の「大本営発表」のような、偽情報による政治的操作が極めて難しくなってきている一方で、いったい何が本当なのかという情報の判断も困難になってきている。

そもそも米軍が緊急時にも情報流通を確保するための分散型システムにルーツを持つインターネットだが、それが一般に開放され、広範に普及することで別の問題が起こっている。

もし僕が十分な知識と悪意を持つハッカー(クラッカー)なら、自宅のパソコンから軍の最高機密にアクセスできるかもしれない。

インターネットに接続するということは、情報の大海にアクセスできるメリットと同時に誰かからアクセスされる危険性も合わせ持っているのだ。

もし僕がテロリストだったとしたら、なにも軍の最高機密にアクセスする必要はない。

電話会社、電気会社や金融機関のコンピュータに侵入して敵国の国民生活をメチャクチャに混乱させることができるのだ。

その上で自分に都合のいい情報を流通させ、敵国の世論を戦意喪失に誘導することだってできるかもしれない。

つまり、物理的に戦火を交える前にサイバー戦のみで勝利することだって可能なのだ。

情報化革命は僕らの生活だけでなく、戦争の概念すらも変えようとしている。

よく考えれば、僕が今日の授業でプレゼンした広告戦略だって一種の情報戦であり洗脳だ。

「洗脳」というと「悪」のイメージが強いけれど、いったい誰が絶対的な善悪を判断できるというのだろう。

僕にとっての「善」が誰かにとって「悪」にならないという保証はまったくないのだから。