CSUNのLanguage Exchange。

最近、このクラス以外でもすっかり仲良しのEricと組む。 彼はそもそも香港出身の中国人だけど、国籍はイギリス、現住所はアメリカというインターナショナルな大学生。

専攻はビジネスで日本語のクラスは取っていないにもかかわらず毎週このプログラムに顔を出し、その上、JSAのメンバーとしょっちゅう一緒にいるから日本語の上達がめちゃくちゃ早い。

僕と話している時の口癖は「Test me!」。

つまり、教えたばかりの表現の問題を出せというわけだ。

楽しみながら積極的に学ぼうという姿勢には頭が下がる。

逆に英語に関する僕の質問にもイヤな顔ひとつせずに答えてくれるいいやつなのだ。

クラスの後、近くのスターバックスでお茶。

帰りに勝治のアパートに寄って「e革命第2の波」を特集した「日経ビジネス」を借り、帰宅。

「遊びとおしゃれとヒューマンメディア」(橋本周司・監修 庄司裕子・著/トッパン)読了。

これは通産省の「ヒューマンメディア研究開発プロジェクト」でのディスカッションを一部紹介したもの。

“ごく普通の人でも、人間性を阻害されることなく自然に扱え、情報化の恩恵を受けることができるような情報メディア”の必要性を訴えたものだが、僕はその中で情報に対する価値観の変化についての言及を興味深く読んだ。

すなわち、「情報が貴重である時代の価値観」から「情報が洪水のようにあふれ、いつでもどこでも手に入る時代の価値観」への変化だ。

ちょっと長いが引用してみる。

東京大学教授の月尾嘉男先生は著書「贅沢の創造」の中で、客観的で正確なことが重視される情報を「報的情報」、主観的で曖昧なことが特徴である情報を「情的情報」と呼んでいます。たとえば、戦争を例として考えてみると、敵軍がミサイルを何発持っているか、その飛行距離はどの程度であるかといった情報は「報的情報」に含まれます。

一方、敵軍の戦意や士気はどの程度であるか、国民が政府をどの程度支持しているかといった情報は「情的情報」の範疇に含まれます。「情的情報」には、人間の主観が入り込んでいるために客観的ということはありえず、曖昧な表現になることもしばしばあります。

「極秘情報」とか「機密情報」という言葉が示すように、「報的情報」では、その情報を共有する人数が少数であるほど価値が高いと言うことができます。つまり、「報的情報」は独占することによって価値を持つ情報だと考えられます。

これに対して「情的情報」は主観的で曖昧な情報です。また、評判や噂が広まって新刊の本や新曲レコードが加速度的に売れていくという現象が見られるように、(中略)つまり、「情的情報」はより多くの人間によって共有されることによって価値を持つ情報であり、共感の基礎となるものだと言うことができます。

なるほど。

宇多田ヒカルがバカ売れしたのは「情的情報」が重要な役割をはたしていたのだろう。

ニュース番組で「報的情報」たる記者レポートを受けてキャスターが発する受けコメントは「情的情報」であることが多い。

「電波少年」や「雷波少年」成功の理由は、「情的情報」が視聴者の共感を集めたからだろう。

メディアや官僚による情報の独占を許さないインターネットの普及や情報公開の流れは、「情的情報」の重要性を加速するに違いない。

もちろん、これまで通り「報的情報」には正確さが求められるたろうが、一方「情的情報」ではいかに他者の共感を集めることができるかがその価値を決めるのだ。

「情的情報」の価値が尊重される社会(=ヒューマンメディア社会)では、結果が生み出されるまでの過程、つまりプロセスもクローズアップされることになります。結果だけでなくプロセスも同時に見ることによって、受け手が主観的、感情的な判断の基準とする「情的情報」が伝わりやすくなるからです。

その通りだと思う。

いわゆる「育てゲー」はなにかを育てるプロセスを楽しむものだし、シベリア鉄道の旅のプロセスがあってこそブルームオブユースの武道館ライヴは多くの人の共感を集めるのだ。

今まで頭の中でモヤモヤしていたものがすっきり整理されたような気分。

やっぱり、考えてる人はちゃんと考えてるんだなぁ。