L.A.在住のCGエンジニア(っていう説明でいいのかなぁ?)Sさんと近所のスターバックスで雑談。

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いつもながら脳みそに刺激を受ける。 帰宅して読書。

「日本語で生きるとは」(片岡義男・著/薩摩書房)読了。

日本語のプロたる著者が日本語と英語に内包される文化を比較考察し、日本人とその社会構造を厳しく批判している。

「英語の社会が対等な関係を前提にしているのに対して、日本語によって日本で育ち、日本で人生を生きる人たちの圧倒的な多数が、上下ないしは利害の関係という場を離れた、対等な関係というものを知らない」という批判も分からないではないけれど、一方で英語社会の問題点に触れないのはちょっと公平を欠くんじゃないかなぁ、とも思う。

そんな中で僕が共感できたのは日本人が英語を学習するにあたってぶつかる障壁についての記述。

特に英語の発音をカタカナに置き換えて覚える手法の弊害は僕も苦労させられているだけに身にしみてよく分かる。

幕末の横浜で日常的に外国人と接していた日本人は、英語の音をできるだけ忠実にカタカナで写し取っていたという。

たとえば、「milk and sugar」は「ミウクンシュガ」、「three quarter」を「ツレコワラ」。

しかし、その後の日本の英語教育はこれらを「ミルク・アンド・シュガー」「スリー・クオーター」と原語から離れた「日本語」にしてしまった。

そのような非科学的な勉強をいまも続けている日本人にとって、英語は基本的に片仮名の世界なのではないか。単語の発音は片仮名をふって記憶しようとする。記憶の一番最初の段階で、英語は日本語という自分たちの都合になってしまう。その結果として、片仮名と正しい綴りとの乖離に、日本人はそれ以後ずっと苦労することになる。

そうなのだ。

「milk and sugar」という綴りを見た瞬間に「ミルク・アンド・シュガー」という音が頭に浮かんでしまうことがリスニングやスピーキングを学習するにあたってどんなに大きな障害になることだろう。

いっそのこと、日本の英語教育の「成果」ともいえる「片仮名」を頭の中から消してしまった方が実用英語の習得にはいいんじゃないかとさえ思う。

消したくても消せないほど脳みそに強烈に刷り込まれているところが悲しいのだけれど。

同じ著者がこの本の前に書いたという「日本語の外へ」という著作もぜひ読んでみたいと思う。

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