正午起床。
企画書書きも無事終了したので、またもや読書。
「文学するコンピュータ」
(榎本正樹・著/彩流社)読了。

初出が94年~97年と若干古めにもかかわらず、中身は陳腐化しておらず面白く読めた。
ジェイ・デイヴィッド・ボルダーの『ライティング スペース』が翻訳されましたけれど、あの中でボルダーは、石版やパピルス、写本や印刷本やモニターなどテキストが書かれる場の変容が、それはテキストを読む場の変容でもあるわけですが、人間のエクリチュールや意識や思考形式を変容させてきたことを細かく検証しています。ボルダーの考えに基づけば、インターネットという新しいライティング・スペースの中で、人間の思考が変わっていくという一つの仮説が立てられると思います。(「文学するコンピュータ」42ページ)
確かにそうだろうなぁ。
これまでの本はページの順番に直線的に読むのが普通だったけれど、インターネット上の文章はノンリニアだ。
リンクをクリックしてあちこちをつまみ読みすることもできれば、ブラウザの検索機能を使ってキーワードの周辺だけ読むことだったできる。
第一、手書きとワープロでは文体も変わってくるだろうしなぁ。
だとすれば、僕はその新しい革袋に盛る新しい酒を作りたいと思う。
インターネットは「マスコミから個人」という従来の一方向的な情報流通を変える、ユーザー側からの情報発信を可能にするメディアである。個人が発信する情報にメディア論的な価値を設定するとすれば、それはマスコミに流通していない情報、マスコミでは流通させてはいけない情報ということになる。(「文学するコンピュータ」115ページ)
そうそう、だからインターネットは面白いのだ。
インターネットにはいわゆる「有害」情報がいくらでも流通している。
これが目に余るようになってくれば当然、管理・規制すべきだという動きが出てくるだろう。
だけど、そもそもどんな情報が「有害」なのかなんて価値観の違いで一概には言えないよなぁ。
インターネットでは情報が国境(つまり異なる価値観の境界でもある)を軽々と飛び越えてしまうのだから、それを一律に規制するなんてほとんど不可能だ。
インターネットは人間の欲望を善悪の区別なく純粋に実現してしまうメディアだ。欲望そのものが自走し増殖する速度は物理世界の比ではない。いったん自走しだした欲望は誰も封殺することはできない。
多くの問題が胚胎しているにせよ、その問題が引き起こす結果の総体と私たちが守るべき表現の自由を天秤にかけた場合、どちらを重視すべきかは明らかだろう。(「文学するコンピュータ」116ページ)
アメリカは通信品位法の制定を拒否して表現の自由を選んだ。
では、日本はいったいどうするだろう。
「ちびくろサンボ」はいつの間にか書店から消えちゃったんだよなぁ。
その後、橘さんのお土産「Hot Dog Press 5月25日号 出会いとH完全攻略バイブル」読了。
何なんだ、この落差は(笑)。