ようやく「文明の衝突」を読了した。
ハーバード大学の教授で戦略論の専門家である著者サミュエル・ハンチントンは世界を西欧、中国、日本、イスラム、ヒンドゥー、スラブ、ラテンアメリカ、アフリカと8つの文明に分類している。
冷戦によるイデオロギー対立がなくなると人々は自らのアイデンティティーの根拠を文明に求めるようになり、21世紀前半の世界には文明間の紛争が浮上してくるというのが彼の主張だ。
その上で「世界にただ一つリベラルな民主主義に基づいた普遍的な文明」が生まれつつあるというのは西欧の思い上がりであって、他の文明圏から見ればそれは帝国主義に映るという。
今後の世界では中国文明とイスラム文明の勢力が台頭し「西欧対非西欧」という対立の構図になるというのである。
世界中で議論を巻き起こしたベストセラーだけあって興味深く読んだ。
説の真偽は今後の歴史が証明していくとして、僕も身近なところで少し考えさせられた。
それは留学生のアメリカに対する接し方である。
日本人であるか否かに関わらず、その態度は大きく2つに分けられるような気がするのだ。
1つはアメリカ順応型。
アメリカ的な自由主義、競争主義、個人主義、あるいはポップカルチャーを優れたものと考え、極端な場合、自国の文化を否定さえしてしまう人。
よく言えば順応性が高く環境に溶け込むのがうまいとも言える。
もう1つはアメリカ否定型。
アメリカから学ぶのはごく一部の限られた分野の知識のみで、その他の部分ではかたくなに自国の文化を貫き通す人。
保守的で頑固だ。
Coffee Hourなど僕の少ない交流から言うと、前者は中学・高校など思春期からアメリカで生活している留学生に多く、中国人やイスラム系の留学生には後者が多いような気がする。
日本人には順応型が多いだろうか。
ま、もっともこれは留学生に限ったことではない。
母国語のみの看板がチャイナタウンやコリアタウンに多いのにリトルトーキョーではほとんど見かけないのもそういうことなんだろう。
では、僕はどうだろう?
アメリカ的な自由や個人主義を心地よく感じることは確かに多い。
結果の平等ばかりに重きが置かれる日本のシステムもどうにかならんもんかと思う。
が、一方で日本の美点も改めて思い知らされる。
謙虚さや慎み深さ、あるいは礼儀正しさに欠けるアメリカ人には違和感を覚えることが多いし、英語では表現しきれない日本語のワビサビが僕の中にすっかり根付いている。
実際には時と場合によって順応型と否定型の間で大きく揺れ動くのが本当のところだ。
たとえ今後何年アメリカで生活しても100%順応することはないだろうし、したくもない。
かといって100%否定するのも何か違う。
日本とアメリカの「いいとこ取り」がしたいなんていう虫のいいことを考えているのだけれど。
いずれにしても異国で生活するというのは折に触れてアイデンティティーの確認を迫られることだ。
やがて卒業して帰国する頃、この日記を読む僕はどんな僕になっているだろうか。
楽しみでもあり、また不安でもある。