大反響を及ぼした「あるある大事典」の納豆ダイエットがウソだったという。
同じ業界にいる者としては「ああ、やっちゃったか」という気持ちだ。
あちこちで非難されているのでそれは繰り返さないが、なぜこういう事件が起きてしまったのかその原因を僕なりに推測してみる。
おそらく「納豆に含まれている成分にダイエット効果がある」という学説を発見したスタッフの提案にゴーサインが出て取材がスタートしたのだろう。
この手の健康番組は特にそうだが、他の番組でもインパクトがある企画は通りやすい。
僕らが日常的に食べている納豆でダイエットできるというキャッチはインパクトがあり、視聴率が見込まれるからだ。
実際にそういう学説があったのかどうかは分からないが、あったとしても、それを裏付ける学者のコメントが見込み通りに撮れなかったのだろう。
本来なら粘り強く交渉するなり、同じ主旨のコメントをしてくれる代わりの識者を探して裏付けとするか、または企画自体を断念すべきところなのにそれをせず、コメントをねつ造してしまった。
ディレクターの力量不足(あるいは手抜き)はもちろんだが、企画が通った時点で放送予定日が決まっていて、スケジュールを理由に一度通った企画をボツにできないというテレビ的な事情が最大の原因だと推測する。
オンエアに穴を空けるのを恐れるがゆえに、でたらめをでっち上げてしまったのだ。
データのねつ造も同じだ。
実験の結果見込み通りの結果が出なければ、企画自体が間違っていたという判断をすればいいと外部からは見えるだろうが、そこまでにかけた時間と金をムダにする余裕はテレビにはない。
そんなことをしたディレクターは無能の烙印を押され、仕事がなくなってしまう。
悪いと分かっていながら、当初の企画意図に沿ったデータを創作してしまったのだろう。
今回の図式も、過去に起きたやらせ問題と全く同じだ。
魅力的な企画があって、その見込み通りの証言やデータが取材で得られないのに、オンエアの時間だけは迫ってくる。
この番組に限らず、そんな事態はどこの番組でもあり得るのだ。
同じような状況になったときに、企画自体を修正してウソのない番組に仕立て上げる優秀なディレクターももちろんいる。
今回の事件を受けて、しばらくの間テレビの現場では慎重な番組作りが徹底されるだろう。
しかし、最大限の視聴者の心をつかむ刺激的なネタが求められ、限られた時間と予算の中でそれを修正する余裕がないというテレビのシステムが変わらない限り、同様の事件は必ず起きる。
政治家が有権者の資質の写し鏡であるように、テレビ番組は視聴者が求めるものの集合体だ。
最も簡単に状況を変える方法は、「納豆で痩せる」などという刺激的なキャッチほど鵜呑みにせず、いかがわしい番組だと思ったらテレビを消すことだ。
視聴率の取れない番組は簡単になくなるのだから。