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2005年05月10日

●「近代家族のゆくえ―家族と愛情のパラドックス」

「近代家族のゆくえ―家族と愛情のパラドックス」
近代家族のゆくえ―家族と愛情のパラドックス

最近読んで、面白かった「希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く」の著者、山田昌弘による家族論。
「子供を大事にするほど子供の数が減る」「男女交際が増えると結婚が遠のく」といった近代家族の矛盾を提示しながら現実の家族考察している。

ごくフツーの家族に育った僕は、家族というものにそれほど強い思い入れはないけれど、お年頃の男として(おいおい!(笑))、恋愛と結婚の関係についての記述はとても興味深かった。

理論的には、恋愛と結婚は、別の現象である。恋愛は、身体的興奮を伴った感情現象に属し、結婚は、親族・家族システムに属している。しかし、両者は、二人の人間(通常、異性同士)を結合させるという同一の機能をもっている

恋におちた相手が、結婚相手として(結婚の社会機能上)ふさわしい相手とは限らない。同様に、結婚相手としてふさわしい相手に、恋愛感情を抱くかどうかもわからない。また、結婚後、夫婦だからといって、恋愛感情が持続できるとは限らないし、夫婦以外の人に恋愛感情をもたないという保証もない。恋愛は、社会にとって望ましい結婚制度を崩壊させる危険性をもっている。

この矛盾に対処するために社会が編み出してきたメカニズムが3つ。

1.「恋愛と結婚をお互いに無関係な制度として分離させる」
妾、売春、不倫など婚外、婚前の男女交際を認めて、結婚とは区別する方法。

2.「恋愛を抑圧する」
結婚前の男女の接触を禁止したり、恋愛体験にマイナスの価値観を付与する方法。

この2つが前近代社会でも見られた方法だが、近代社会で典型的に用いられているのが、

3.「恋愛=結婚したい気持ち、と定義する」
そもそも別物である恋愛と結婚を制度的に結合させる方法。

つまり、「結婚には恋愛感情が必要だ」とか「恋愛感情が高まって結婚に至る」といった、現代の「常識」は、社会を崩壊させないようにするための知恵だというのだ。
面白いなぁ。

確かに、「本物の恋愛=結婚」という価値観は結婚前の男女における社会を壊さないようにするのに役立つと思うけれど、一方で、「恋愛感情がなくなった夫婦は結婚に値しない」という価値観を生み出し、離婚を促進してしまうのではないだろうか?
こんなことを考えていると、ますます「正しい恋愛」も「正しい結婚」もできなくなっちゃうような気がするなぁ(笑)。