3月5日(木)
仕事を終えてフラフラになりながら帰ってくると玄関の郵便受けに見覚えのある封筒。
Santa Monica Collegeが願書を送ってきたのとおなじやつだ。
これは合格通知に違いない!
いっぺんに目が覚めて急いで開封する。
「We are pleased to inform you that you have been accepted as an international student in Santa Monica College...」
よしっ! 受かった!
コミュニティーカレッジはTOEFLスコアさえクリアしていれば大丈夫だとは言われてはいたものの、合格通知を手にすると改めてホッとする。
ところが、である。
書類に書かれている入学時期ががなんと秋学期になっているではないか!
「おいおい、オレは夏学期にapplyしたんだぞ! 冗談じゃない! あと3ヶ月も待てるか!」
夜中の2時。
こういう時に電話でペラペラと苦情が言えたらどんなに楽だろうと自分の英語力のなさをふがいなく思いながら現地のオフィスアワーが始まった時間を見計らってメールとFAXで苦情を入れる。
すると10分後、入学時期を夏学期に書き換えただけの書類をFAXで送ってきやがった。
まったく…。
アメリカの大学の事務手続きは一般的に言ってかなりアバウトなところが多いのだが、そんな中でSanta Monica Collegeのオフィスは良心的な方だ。
メールやFAXの問い合わせには迅速に対応してくれる。
でも、それなら最初から正しくやってくれたほうがこちらの精神衛生上いいんだけどなぁ。
書類をよく読んでみると、夏学期のスタートは6月22日から。
5月11日までに事務所に顔を出すようにと書いてある。
科目登録や英語と数学のテストがあるらしい。
よし、善は急げ!
ゴールデンウィークが明けたらすぐ渡米だ!
夜中にも関わらず、今住んでいる部屋を解約するための書類を引っぱり出してくる。
いよいよアメリカ行きが現実的になってきた。
3月6日(金)
3年間お世話になった大家さんに解約のあいさつ。
「いいわねぇ。うらやましいわ。有名になって帰ってきてね」
う〜ん、なんか勘違いしてるんじゃなかろうか?
3月9日(月)〜14日(土)
今週はお知らせウィーク。
お世話になっている人たちに4月いっぱいで仕事をやめなければならない事情を説明する。
留学を決意してから1年間、ほとんどの人には黙って準備をしていた心苦しさから少しずつ解放されていくのが自分でもよく分かる。
「頑張ってこいよ」
みんながみんなそう言ってくれる。
う〜ん、心にしみるなぁ。
3月12日(金)
Santa Monica Collegeから正式な夏学期入学許可証が送られてくる。
FAXで送られてきたのとまったく同じ書類だ。
それによると、学生ビザを申請するのに必要なI-20は3月中に別便で送られてくるらしい。
3月13日(金)
I-20はまだだが、その前にビザの申請手続きを始める。
なんと言っても善は急げだ。
大学時代の同級生がJTBに勤めているので相談してみることにした。
友人いわく「アメリカは留学生がそのまま国内に居座るのを心配するから、必ず帰国するというのを保証する書類が必要だよ。会社員だと休職証明でいいんだけど、鈴木みたいにフリーランスの場合はどうすればいいのかなぁ」。
こちとら、そんなことは重々承知。
推薦状を頼むときに「ウソでもいいから『留学が終わったらぜひ帰国してまた私たちと一緒に仕事をして欲しい』と書いて下さい」とお願いしてあるので、その推薦状3通を添付する予定だし、さらに、「私の仕事は日本で日本語でなければできないし、家族も全員日本にいる。だから、留学が終わったら必ず帰国する」というエッセイもちゃ〜んと書いてある。
とりあえず、I-20が届いた段階で正式にお願いすることにする。
3月18日(水)
去年の夏にL.A.に行ったときに知り合った現地で働いている日本人の友人が一時帰国中。
メールで連絡を取り合い、東京で会うことになっていた。
向こうじゃ食べられないものをというリクエストにお応えして月島のもんじゃ焼き屋へご案内。
L.A.に着いてから心配なアパートやクルマの事を根ほり葉ほり質問責めにする。
やっぱり現地に知り合いがいるというのは心強いよなぁ。
3月21日(金)
仕事から帰ってきてポストを見ると、見覚えのあるCalifornia State University, Los Angelesの封筒。
しかも中身に結構厚みがある。
かつてUSCから来た不合格通知は封筒の中にペラ1枚だった。
ということは…
少し緊張しながら開封してみると…
「We are very pleased to inform you…」
やった! 合格通知だ!
California State University, Los Angelesには学部と大学院の両方にapplyしていたのだが、なんと大学院の方からの合格通知だった。
すでにSanta Monica Collegeから合格の知らせは受けていたけれど、やはりコミカレとはありがたみが違う。
これで秋からの行き場が確保できて一安心だ。
しかし、よく読んでみるとI-20に印刷されている名前の姓と名が逆になっているじゃないか!
またかよ…。
まったく、アメリカの事務手続きはこれだからいやになってしまう。
さっそくメールとFAXで新しい書類を送ってもらえるよう請求する。
さらに、よく見ると、同封の「Postbaccalaureate Student Evaluation」なる書類に書かれている専攻科目が間違っているではないか。
「Communicative Disorder」?
おいおい、けっこう大切なところじゃないのか?
I-20の方は正しく「Communication Studies」になっているのに…。
とりあえずI-20さえ正しければ何とかなるだろうと静観することにした。
3月29日(日)
出発予定日まであと40日。
なのにSanta Monica CollegeからはまだI-20は送られてこない。
もちろん、California State University, Los Angelesからの新しいI-20も。
こんな調子で出発までにビザは間に合うのだろうか?
不安だ…。
3月30日(月)
実家から母と弟がやってきて第1回引っ越し用荷物整理大会。
今日は主に書物と洋服をL.A.に持って行くものと日本に残していくものに仕分けする。
持っていく荷物は必要最低限にしようと思ってはいるのだけれど、それでも結構な分量だ。
「あと1ヶ月だから」というのを言い訳に部屋の掃除もさぼりがちなのだけど、今日1日で出た山のようなゴミを捨てると、やっぱり気持ちいいもんだ。
円安がさらに進んで132円台に突入した。
去年の秋頃は115円だったのになぁ。
最近は24時間為替情報を放送しているPerfecTVのBloomberg Television(250ch)をチェックしているのだけれど、ドルを買うタイミングがますます難しい。
シティバンクに口座を開いてあって、もういつでも電話1本でドルに替えられるようにスタンバイしてるんだけどなぁ。
こうなったら、4月のG7まで待った方が得策か!?
国際ニュースが急に身近になるのであった。
4月4日(土)
やっとSanta Monica CollegeからI-20が送られてくる。
これでビザの申請ができるぞ。
4月6日(月)
届いたばかりのI-20を持って友人が勤めるJTBへ出向く。
ビザの申請は個人でももちろんできるのだが、何かトラブルがあったときのことを考えて旅行会社を通すことにした。
前もってNiftyserveのアメリカ大使館情報で必要書類をチェックしておいたので手続きもいたってスムーズだ。
用意したものは、
- 写真(3.7cmx3.7cm以上5cmx5cm以下)
- 英文の銀行残高証明(シティバンク発行。2年間の学費分。自己名義)
- 大学の成績証明書及び卒業証明書(英文)
- TOEFLスコアのコピー(必要な英語力を証明するため)
- エッセイ(家族、住居、仕事のベースが日本にあり、必ず帰国することを述べたもの)
- 推薦状(テレビ・ラジオ局のプロデューサー3名から帰国後の仕事を保証するもの)
- 入学許可証 I-20A-B(Santa Monica College発行)
- パスポート(有効期限が99年7月まで。留学予定期間の2年には満たなけれど、残存期間が1年以上はあるため、更新できず。失効直前に現地の領事館で更新すればいいらしい)
「米国査証申請のための質問書」なる書類に必要事項を記入し、「査証申請書 OF-156」(正式に大使館に提出する書類)にはサインしただけ。
JTBの場合、各支店からの申請分を「ビザセンター」というセクションがまとめて一括申請する仕組みになっているようだ。
ビザについては発行を拒否されたケースについてのウワサが流布しているので不安もあるが、とにかく「アメリカには居着かないで帰国する」ということを強調するしかない。
4月7日(火)
現在、クレジットカードの決済口座変更についてアメックスに電話する。
米ドル決済にするにはアメリカの銀行口座が必要で、口座さえあればいつでも切り替えが可能だそうだ。
しかも、現地の日本語電話窓口でOKとのこと。
ということで、渡米してからゆっくりやることにする。
続いて、電話帳を見ながら引越し屋さんに片っ端から電話。
今週末と来週の2回に分けて見積もりを取りに来てもらうことにする。
さて、どうなることやら。
4月10日(金)
文化放送「梶原しげるの本気でDONDON」でお世話になっている
キャスターの若林正人さんから何と餞別をいただく。
「中身はオレがカジノで勝った時のドル札だから縁起いいぞ」
真っ白い和紙の封筒に達筆な筆文字で「御餞別」の文字。
ありがたすぎて絶対に手をつけられないなぁ。
4月11日(土)
引っ越し屋さん3社が見積もりに来る。
料金体系が複雑なのでけっこう悩んでしまう。
う〜ん。
4月13日(月)
栄陽子留学研究所にお礼参り。
初回カウンセリング料しか払わなかったにもかかわらず、栄先生には節目節目でいろいろアドバイスをいただいた。
夜、第一希望のUniversity of Southern Californiaのweb siteを覗いてみると、合否の結果がインターネットでチェックできるようになっている。
さっそく、クリックしてみるがまだ結果がアップされていないようだ。
GPAが足りないのでたぶんダメだろうけど、結果は気になる。
これから毎日覗いてみよう。
4月14日(火)
JTBの友人からの電話で叩き起こされる。寝ぼけ眼で受話器を取ると、「ビザとれたよ!」と一言。
一発で目が覚める。
ふぇっ? そんな簡単にとれちゃったの?
いろいろな情報源でビザは取りにくいといわれていたのであまりのあっけなさにびっくりだ。
さっそく、JTBに行ってビザを受け取ってくる。
「こんなに迅速でしかも5年も出るなんて珍しいよ」とのこと。
ビザはステッカーのようなものをパスポートに貼りつけるタイプ。
アメリカ大使館の封筒に入ったI-20がホッチキスで留めてある。
よし、あとは航空券だけだ。
それにしてもこの円安はなんとかならんかな。
4月16日(木)
引っ越し屋さんがさらに3社来訪。
結局、最後にやってきた日通で決める。
「引っ越し業者はいくつか競合させた方がいいよ」という友人のアドバイスは大当たり。
まるで車を買うときのディーラーとの交渉のようで胃が痛くなったが単純に値段で5万円以上安くなった。
ってことは、最初の「定価」って何なんだ?
4月17日(金)
文化放送「梶原しげるの本気でDONDON」の10周年記念パーティー。
普段なかなか会えない人たちに会って留学する旨を報告。
向こうでの住所が未定なので、とりあえず実家の電話番号を連絡先として渡す。
続いてテレビ朝日「Break Out」のスタッフが開いてくれた送別会へ。
やっと軌道に乗ってきた番組だけに途中で抜けてしまうのはとても残念だ。
餞別に変圧器と電子辞書をいただく。
このところ、何をしても「ああ、もうしばらくはこうすることはないんだなぁ」としみじみ思ってしまう。
出発まであと22日。
4月18日(土)
高校の同級生たちが開いてくれた送別会で南浦和の居酒屋へ。
気の置けない仲間というのはやっぱりいいものだなぁ、と思う。
4月19日(日)
実家から母と弟がやってきて第2回引っ越し用荷物整理大会。
3年間住んだ部屋がどんどん片づいていく。
4月24日(金)
1ドル=131円11銭。ついに、しびれを切らしてドルを購入。
シティバンクでとりあえず1万ドル分のトラベラーズチェックに両替する。
どうせ現地に行ってからそのまま銀行に入金するんだと考えて1000ドルのチェックを10枚。
こんな紙切れ10枚で何と131万円だ。
残りはまた相場を見ながら両替するとして、とりあえず当面の資金を確保できてホッとする。
4月27日(月)
文化放送「梶原しげるの本気でDONDON」、最後のオンエア。
放送の最後で梶原さんが「10年間一緒に番組を作ってきてくれた鈴木探検隊員(僕のことです)がアメリカに留学することになりました」とリスナーに報告してくれた。
僕の放送作家人生10年の根幹を占めていたと言っても過言ではない番組だけにちょっとジ〜ンときてしまった。
梶原さん、そして一緒にやってきたスタッフの皆さん、どうもありがとうございました。
僕が2年半後に帰国したときもぜひ番組を続けていて下さい。
でも梶原さん、僕が勉強しにいくのは「コンピュータ・グラフィックス」じゃないんですよね…。
番組を聞いていた友人に「おまえ、いつから絵が描けるようになったんだ?」と突っ込まれてしまった。
そして、いったん家に帰ったときに事件は起こった!
ガガ〜ン! またかよぉ。
California State University, Los Angelesから封筒が何と4通も届いている。
イヤ〜な予感がしながら開封すると、何と、出願すらしていない「Communicative Disorder」学部からの合格通知だ。
おいおい、僕が出願したのは「Communication Studies」だろ!
向こうに行ってから希望の学部に合格してなかったらどうしよう…。
そんな不安を胸に苦情のメールとFAXを送る。
出発まであと13日なんだぞ。
何とかしてくれ!
ユナイテッド航空に電話して、航空券を予約する。
5月10日成田発L.A.行き UA890便。
しかも、これまでにため込んだマイレージを使ってビジネスクラスにアップグレードだ!
前途多難に違いないアメリカ生活への旅立ちをちょっと贅沢に。
自分へのごほうび、ごほうび。
4月28日(火)
遅々として進まない荷物整理。
今日は思い切って自分でアメリカに持っていく荷物のパッキングを始めてみる。
冬物の衣類は後から送ってもらうとして、問題は本。
日通からもらった国際宅配便の料金表や東京国際郵便局のホームページで国際小包の値段を見てみると思った以上に高い!
本は重量があるから、今、送ろうとしている本だけで10万円くらいかかってしまうことになる!
う〜ん、これはまずい。
持っていく本をもう少し厳選しなければ。
どうしても必要な本は自分で持っていくようにしよう。
急がない本は後から遊びに来る友人にお願いして持ってきてもらうことも考えなければ。
4月29日(水)
ホテルオークラの中にあるユナイテッド航空のオフィスで航空券を発券してもらった後、文化放送「梶原しげるの本気でDONDON」のスタッフが開いてくれた送別会へ。
二子玉川にある健康ランドの宴会場という粋な計らいだ。
梶原さんや文化放送のスタッフをはじめ、僕がまだ大学生の頃からかわいがってくれた放送作家の先輩方。
本当にいい人たちに囲まれて仕事をしてきたんだなぁ、と改めて思う。
みなさん、素敵な送別会をどうもありがとうございました。
ドン・タプスコット著「デジタル チルドレン」(ソフトバンク)読了。
雑誌「WIRED」には酷評されていたが、大いに刺激を受けた。
5月6日(水)
愛するフェレット「チビ」「ぽん太」とお別れ。

僕がいなくなってしまうことをちっとも知らない無邪気なやつらに甘ったれられてつい、泣いてしまった。
ごめんな、チビぽん。そしてありがとう。
お兄ちゃんのわがままを許せ。
頑張ってくるから、おまえらも元気でな。
5月8日(金)
引っ越しも大詰め。
部屋の中にはL.A.へ送るいくつかの段ボール箱とこのMacだけ。
この更新が済んだら、3年間暮らした恵比寿の街ともさよならだ。
あとは実家に顔を出して、出発するのみ。
これから2年半、どんな生活が待っているのか。
不安もたくさんあるが、今は期待の方がずっと大きい。
日本でお世話になったみなさん、そして僕の留学でいろいろ迷惑をかけてしまったみなさん、本当にお世話になりました。
本当にありがとうございます。
「Los Angeles 留学日記」は現地でインターネット環境が整い次第、また復活しますので、それまでお待ち下さい。
それでは、いってきます!
