「Los Angeles留学日記」

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「Los Angeles 留学日記」

99年夏休み3
(1999年6月9日〜)
6月9日(水)
午前8時起床。
エコノミスト佐藤治彦さんのオフィスへ。

テレビ、ラジオ、雑誌、単行本と大活躍の佐藤さんとは7〜8年前からおつきあいさせてもらっている。
僕のキツキツの生活を見かねた佐藤さんが「ちょっと仕事を手伝ってくれませんか?」と声をかけて下さったのだ。

今回は月刊誌「現代」(講談社)のお仕事。
テーマがインターネットということで佐藤さんが書く原稿のテクニカルタームをチェックして欲しいというリクエスト。
もちろん佐藤さん一人でもできる仕事なのに、わざわざ声をかけてくれたのだ。

真新しいノートパソコンを開封するところからインターネットを立ち上げ、Webとメールの設定が完了するところまで、僕は佐藤さんの横に座って簡単な質問に答えるだけ。
こんなんでいいのかと思っていたら「後で基礎データをまとめてくださいね」という発注をいただいた。
そんなことならお安いご用。
喜んでお手伝いさせていただきます。

夕方、寛大にも「Los Angeles留学日記」を出版して下さったアルクへ。

今回の出版を担当して下さったスタッフの皆さんに挨拶する。
L.A.まで打ち合わせに来て下さった編集の安藤さん以外は全員初対面。
にもかかわらずほとんどの人が僕のアパートの間取りから食生活まで知っているわけで、なんだか不思議な感覚だ。

いただいた名刺の肩書きを見ると「メディア・ネットワーク部」「海外事業部」「ネットワーク事業部」「文化事業部」「留学事業部」「書店営業部」と多種多様。
話を聞いてみると、今回のプロジェクトに関しては各セクションから「これは面白そうだ」と思った人たちが自主的に集まり、寄ってたかって作って下さったのだという。

もしかしたらこれってスゴイことなんじゃないだろうか。
普通の出版社じゃそうはいかないだろう(もちろん褒め言葉ですよ>アルクの皆さん)。
アルクがマルチメディアやインターネットを本気で考えている自由な社風の出版社だということをひしひしと感じた。

そんなスタッフの皆さんと下北沢の居酒屋で打ち上げ会。
CD-ROM制作の苦労話やエピソードなどに花が咲く。
最先端技術からインターネットビジネスの現状まで、現場で携わっていらっしゃる方々の話が聞けて僕としても大いに刺激を受けた。

目指せ「マルチメディア対応型エンタテイメント職人」!
今後もますます頑張ろうと決意を新たにしたのだった。


6月10日(木)
午前7時起床で文化放送へ。
放送作家として1年ぶりの仕事である「梶原しげるの本気でDONDON」の生放送だ。

自分の都合で勝手に番組を離れた僕を再び暖かく迎えて下さったスタッフの皆さんには頭が上がらない。

このホームページを読んで下さっているキャスターの梶原さんは「Los Angeles留学日記」の出版をとても喜んで下さった。

その日の新聞から一番気になるニュースを2時間かけて探検していくこの番組。
今日のテーマは「アトピー性皮膚炎」だ。

僕は食事メニューや布団などアトピーに悩む人たちも安心して利用できる旅館のネットワーク、遺伝子組み換えによってアレルギー源を取り除いた食品について電話取材&リポート。
1年間のブランクがあったにもかかわらず、違和感なく、ごく自然に仕事ができた。

オンエアの後、友人宅を訪ねて愛するフェレットのチビ&ぽん太とご対面。

勝手な都合で置いていった飼い主のことを覚えているのか、いないのか、罪のない愛くるしさで甘えてくるチビとぽん太。
お前らを見てるだけで心が安まるよ。

僕のアメリカ生活は最低でもあと1年。
帰ってくるまで元気でいるんだぞ。


6月11日(金)
午前7時起床で文化放送へ。

昨日に引き続き「梶原しげるの本気でDONDON」の生放送だ。

今日のテーマは「15才高校生の防衛医大立てこもり事件」。
防衛医大や高校生が通っていた高校、さらに一水会の鈴木邦男さんを取材、リポートする。

番組のオープニングで梶原さんが僕の本を大々的に紹介して下さった。
ゲストキャスターの若林正人さんとも一年ぶりの再会。

本を手渡すと「よかったなぁ」と、とても喜んで下さった。
しかも、放送終了後、超豪華しゃぶしゃぶまでごちそうになってしまった。
このご恩はいつかまた仕事でお返ししますので期待していて下さいね。

夕方から放送作家の先輩Uさんの家へ。
政治記者にして知的所有権のエキスパートKさんも交えて翌朝5時まで語り明かす。
恋愛結婚論から小渕政権の今後、芸術家と職人の違いまで。
いつものことながら刺激的な話ができて脳みそが活性化できた。


6月12日(土)
午後1時起床。

僕が初めてテレビのスタジオ台本を書いた「プレステージ」という番組以来お世話になり、推薦状も書いて下さったテレビ朝日のプロデューサー金沢さんと自由が丘のカフェで待ち合わせ。
ランチをごちそうになりながら近況報告。

ずいぶん前から番組オープニングなどにコンピュータグラフィックを積極的に取り入れてきた金沢さんだが、最近はますますCGクリエイターとのつき合いが増えているという。
地上波BSデジタル化に向けてどんな番組案が出ているかなど、詳しい話を聞く。

奥さんにポケットボードをプレゼントするという金沢さんと一緒に新宿西口の家電街をブラブラ。
帰国前にもう一度会う約束をして別れる。

留守中の郵便物をチェックしてくれた篠原さんが「USCから書類が足りないという手紙が届いてる」というメール&FAX。
おいおい、またかい。
それはもう出しているはずなのでオフィスに確認してもらうようメールする。

「グローバルブレイン」(ピーター・ラッセル著/工作舎)読了。
“情報ネットワーク社会と人間の課題”という副題に惹かれて買ったのだけれど、ハズレ。
説得力のないガイア論と神秘主義的ポジティブシンキング礼賛。
一種の「と」本かなぁ。


6月13日(日)
午前10時起床。

友人の買い物につき合って秋葉原へ。
財布の中身と相談して何とかとどまったが、欲しいソフトがいっぱいある。
新しいデジカメも欲しくてたまらない。
まったく、秋葉原は物欲を刺激する街だ。

例によって書店チェック。
書泉ブックタワーで「Los Angeles留学日記」を1冊発見。
何回見ても嬉しいもんは嬉しいんだよなぁ。

その後、渡米直前まで住んでいた恵比寿の街を散策。
たった1年離れていただけなのに新しいビルや店ができ、街の表情が微妙に変わっている。
僕が住んでいた部屋には新しい人が住んでいた。
当たり前のことなのだけれど、ほんの少し寂しい気がする。
僕が帰国する時はきっと無一文だから、この街に住むのも難しいんだろうな。

「芸人失格」(松野大介・著/幻冬社)読了。
かつてABブラザーズとして活躍した著者がテレビというメディアに違和感を持ちながら過ごした日々を振り返って描く自伝的小説。
僕はそこまで絶望してはいないけれど、著者がテレビに抱いていた不満には共感できるところもあった。


6月14日(月)
午前7時起床。
文化放送「梶原しげるの本気でDONDON」の生放送。

今日のテーマは「石原慎太郎東京都知事のお台場カジノ構想」。
僕はニューヨーク在住のジャーナリスト内田忠男さんを取材してラスベガスとアトランティックシティーのカジノについて話を聞いた。

僕自身はほとんどギャンブルをやらないけれど、エンタテイメントやアミューズメントとしてのカジノには興味がある。
アメリカに戻ってすぐ出発する「アメリカ大陸横断ドライブ」ではぜひラスベガスに立ち寄って自分の目でしっかり見てきたいと思う。

夕方、放送作家として活躍している大学時代の後輩2人と六本木でタイ料理。
今のテレビについて語り合い、昔話に花を咲かせる。
低所得の先輩に奢ってくれたレギュラー11本の超売れっ子に感謝。

「2000年のゲームキッズ2 夢ビデオ」(渡辺浩弐・著/アスペクト)読了。
「トゥナイト2」橘ディレクターの紹介で著者の渡辺さんとお会いできることになった。
とても楽しみだ。


6月15日(火)
午前7時起床。
文化放送「梶原しげるの本気でDONDON」の生放送。

スタッフルームに到着するやいなやプロデューサーのNさんが「本の反響あったわよ」。
先週金曜日に告知したリスナープレゼントに応募ハガキが約80通も届いていたのだ。

ハガキの他に電話での問い合わせもあったという。

ハガキには「僕も30才で留学を考えています」とか「娘が留学したいと言っているので参考にしたいんです」といったメッセージが。
僕の本が少しでも役に立てるのならこれ以上の喜びはない。

今日のテーマは「野村沙知代“騒動”」(「野村沙知代“問題”」ではない)。
僕は精神科医の高橋龍太郎さんを取材して「日本中が何故飽きもせずサッチー問題に夢中になってしまうのか?」という質問をぶつける。

オンエア終了後、高田馬場にある劇団吟遊市民事務所へ。

劇団主宰者で放送作家としても活躍している倉迫康史は大学時代の後輩。
若手劇団主宰者をネットワーク化するメーリングリストを立ち上げるなど次世代の演劇を目指して精力的に活動している。
すぐ近くで高い志を持って頑張っている彼を見ていると、僕も頑張らなければと刺激を受ける。

夜、「トゥナイト2」の橘ディレクター(写真左)、作家、ソフトウェア・プロデューサーの渡辺浩弐さん(写真右)、放送作家の下尾雅美さんと四谷のインド料理。

下尾さんは「ウゴウゴルーガ」から「報道2001」まで幅広い番組を手がける実力派。
かつてはあの「ザ・ベストテン」で『今週のスポ〜〜〜〜ットライト!』という台本も書いていたという業界の巨匠だ。

そんな下尾さんが「Los Angeles留学日記」を読んで『面白かったよ。日本にいるうちにぜひ会おう』と声をかけて下さったのだ。
尊敬する先輩に評価してもらえたのが素直に嬉しかった。
たとえそこに多少の社交辞令が含まれていても、だ。

「オレも31才の時、仕事を全部やめてあちこち放浪したことがあったんだ。その時に充電したエネルギーでその後10年突っ走って来れたんだと思うよ。鈴木も頑張れ」と、下尾さん。
僕にとってはこれ以上ないエールだ。

一方、初対面の渡辺さんはデジタルエンタテイメント界の旗手。
ハイテクカルチャーの領域を中心に書いた小説は次々に映像化され、ゲームをプロデュースし、若者から圧倒的な支持を受けている。
ホームページのプロフィールを見ると「ああ、僕もこういうことをやりたいなぁ」と思っていたような仕事を次々に実現し成功させている、羨ましい存在だ。
正直言って嫉妬さえ覚える(笑)。

そんな渡辺さんの話の中で興味深かったのは「アメリカでは映画制作の手法がきちんと体系化され大学などで学ぶ後進に効率的に伝えられてますよね。日本でも例えばゲーム制作などのノウハウを整理して体系化すべきです」という意見。
実際に早稲田大学の講師として自分の経験を教えているだけに説得力がある。
そんな授業が日本語で受けられるなら僕もわざわざアメリカくんだりまで行かなくて済むのに(笑)。

クリエイターとして、オピニオンリーダーとして、そして自分の知識と経験を次世代に伝える語り部としてフル回転の活躍を見せる渡辺さん。
その上、誠実で男前だなんて、カッコよすぎるぞ。

近い将来、ぜひ一緒に仕事をしたいと思う。
そのためにはまず知識と経験と実力をつけることだ。
この気持ちが次なる努力のモチベーションになる。


6月16日(水)
午前8時起床。
永福町のアルクへ。

書籍版「Los Angeles留学日記」を担当して下さった編集者の安藤さんと打ち合わせ。
本の評判も上々ということで一安心。
「アメリカ大陸横断ドライブ」で撮影した写真のスライドショー化でバックアップしていただけるというありがたい申し出を受ける。
今後ともよろしくお願いします。

写真といえばデジカメ。
次の待ち合わせ場所に向かう途中で立ち寄った渋谷のビックカメラで思わず買ってしまった!

SONYのCyber-shot。
昨日お会いした渡辺浩弐さんに「コレ、いいですよぉ」と見せびらかされたのが僕の物欲に火をつけてしまったのだ(笑)。

今使っている機種よりもずっと小さく軽い。
解像度はなんと211万画素。
なにより電源を入れてからの立ち上がりや連写のスピードが技術の進歩を感じさせる。
今後のホームページ作りではこれが大活躍してくれるだろう。

「トゥナイト2」の橘ディレクターと一緒に石川次郎さんのオフィスを訪ねる。

今回の出版にあたり、僕にはもったいないほどの推薦文を書いて下さった次郎さん。
バリバリ仕事をこなし、バリバリ遊ぶ、カッコイイ大人だ。

雑誌編集者としてアメリカンカルチャーを次々と日本に紹介するなど、かの国を知り尽くした次郎さんが僕らの「アメリカ大陸横断ドライブ」に寄せて下さったメッセージは…
『50の“国”から成り立っているのがUSAです。なるべく沢山の“国”を訪れて帰ってきて下さい』

United States of America。
すなわち、アメリカ合“州”国。
州が変われば文化も習慣も、そして人間も変わる。
できるだけ多くの人と交わってアメリカの多様性を実感してきたいと思う。

その後、L.A.で行われたE3取材でお世話になったPlay Online編集部へ。

編集長の辻さんから「ホームページ毎日読んでますよ」なんて言われてびっくりだ。
先日取材したE3の記事は次号で14ページの大特集になるという。

そういえば今日の日経新聞一面トップは「郵政省が電話料金定額制を打ち出した」という記事だった。
そうなれば日本でもオンラインゲームが一気に注目されるのは間違いない。
それにしても「目標は2001年」なんていうのは遅すぎると思うのだけれど。


6月17日(木)
午前9時起床で六本木へ。
L.A.滞在中に何度も企画書を発注して下さったTM社を訪ねる。

オフィスは六本木の高層ビルにあり、東京タワーをはじめとした景色が見渡せる。
昨日買ったばかりのデジカメでさっそく写真撮影だ。

遠くにはレインボーブリッジを望む絶景。
うん、東京も悪くないよな。

大御所プロデューサーYさん、Hさんと近くのフレンチレストランでランチ。
「好きなものを何でも食べていいよ」と言われたのについ一番安いセットを頼んでしまう小心者の僕。
だってそれでも2500円もするんだもん。

この4月に新番組として立ち上がったテレビ朝日の「D's Garage21」について意見交換。
コンピュータグラフィックやゲーム、アニメーションなどの若き才能を発掘、育成するこの番組には先日お会いした渡辺浩弐さんも出演している。
視聴率も好調で作品の応募も殺到して嬉しい悲鳴だとか。
ごく近い将来、この番組から優秀な才能が世に出てくるに違いない。
せっかく渡辺さんにも出会えたのだし、僕も何らかの形でお手伝いができるといいのだけれど。

夕方、「Inside Edition」の翻訳で貴重なアルバイト料を提供して下さっている放送作家の先輩、笹生さんのオフィスへ。
僕が毎週郵送しているVTRが棚に並んでいるのを発見。
「おおっ、ちゃんと届いているんだ」なんてヘンな感慨に浸ったりして。

笹生さんご夫妻、スタッフの皆さんと麻布十番の更級本店でそばディナー。
う〜ん、旨い!
どうもごちそうさまでした。


6月18日(金)
午前9時起床で西麻布のJwaveへ。
渡米直前まで担当していた「Boom Town」のスタジオにナビゲーターの海老原由佳さんを訪ねる。

かつてオーストラリアに住んでいた海老原さんは海外生活の先輩。
渡米前にはいろいろアドバイスもいただいていた。
「ホームページ、時々読んでますよ」という海老原さんに本を渡して近況報告する。
帰国したらまた一緒に仕事しましょう!

夕方、テレビ朝日「AXEL」の編集スタジオを訪ね、お世話になったディレクターや放送作家の先輩にあいさつ。

この番組のナレーターをつとめ、DJなどでも活躍中のケイ・グラントさんは、僕が駆け出し放送作家だった頃から僕のナレーション原稿に命を吹き込んでくれきた恩人であると同時に留学の先輩でもある。

渡米前にはそれほど意識しなかったのだが、ケイさんの英語の発音がすごくきれいだということに改めて気づかされた。
それに比べると僕の英語なんて全然ダメなんだよなぁ。

その後、六本木の放送作家集団カンケリクラブ事務所で飲み会。
お世話になった先輩たちと深夜まで大いに語り合う。


6月19日(土)
そういえば、昨日からな〜んか寒気がしてたんだよなぁ。

そんなことはお構いなしに先輩放送作家Uさん宅で連日の朝までトーク。


6月20日(日)
連日の強行スケジュールが災いして、完全に風邪をひいてしまった。
咳は出ないけれど、発熱と下痢。

フラフラしながらも高校の同級生たちが催してくれた出版お祝いパーティーへ。
友人が経営するタイヤショップあんざいでインターネット通販が盛り上がってきているという面白い話を聞いたのだが、それを書く元気がない。

夜、1年ぶりに実家に帰る。
バタンキュー(笑)。


6月21日(月)
体温を測ったらなんと38.5度!
一日中布団にくるまって汗をかく。

返事の出せないメールがたまってます。
本当にごめんなさい。


6月22日(火)
午前7時起床。
熱は37.0度まで下がっていた。
少しフラフラしながら文化放送「梶原しげるの本気でDONDON」の生放送。

今日のテーマは「中高年の多重債務と自殺が急増」。
僕はご主人のリストラで住宅ローンが払えなくなりサラ金に手を出した結果、自己破産に追い込まれてしまった主婦を取材。

オンエアの後、スキー関連の番組でお世話になったナビゲートの加藤謙二さんを神保町のオフィスに訪ねる。
テレビ・ラジオ番組はもちろん、イベント、プロモーションとあらゆるジャンルの仕事を手がけてきた加藤さんだが、久しぶりにお邪魔したオフィスにはパソコンがズラリと並び、今では自社を含め3つのWebページ制作も行っているという。
スキー業界にも当然デジタル化の波が押し寄せているわけだ。

「帰国したらまた面白い仕事をしよう。もちろんデジタル関連も含めてね」
なんとありがたいお言葉。
頑張って勉強してきますから期待して下さいね。

その後、永福町のアルクへ。
Space ALCというコンテンツを制作し、運営しているセクションを見学させてもらう。
現在、1日30万アクセスを集めるホームページの舞台裏だ。(しまった、写真撮影するのを忘れた!)
今回の「Los Angeles留学日記」CD-ROMにスライドショーやムービーを取り入れることができたのは、このセクションがいち早くReal Player G2を使ったインターネット放送に取り組んでいたからに他ならない。

「アメリカ大陸横断ドライブ中に撮影した写真もリアルタイムでインターネット放送に載せましょうよ!」
「途中で時間を決めて旅先の鈴木さんと読者のみなさんでチャットをするなんてどうですか?」
「表紙ページに鈴木さんの軌跡と現在位置を示すアメリカ地図を置いたらいいじゃないですか」

おおっ、それは面白い!
旅先では時間と体力に限界があるから日記以外は最低限の更新しかできないなぁ、と考えていたのだが、どれも僕がやりたいことばかり。
渡りに船とはこのことだ。
「ぜひお願いします!」
僕は反射的に答えていた。


6月23日(水)
午前7時起床で文化放送「梶原しげるの本気でDONDON」。

今日のテーマは「女性記者が看護婦に変装して竹下元首相の病室に潜入した『サンデー毎日』の取材手法に賛否両論」。
僕は、この取材に異議を唱える読売新聞の社会部長を取材する。

一時帰国中に6回も番組に参加させて下さったスタッフのみなさんにお礼とお別れのあいさつ。
すると先輩放送作家Uさん(フジテレビ「スーパー競馬」を担当し、別冊宝島の競馬読本シリーズでもたびたび筆をとる業界屈指の競馬通)が「はい、まずはコレ読んで」と手渡してくれたメモ。

そこには「がんばれ鈴木くん! JRAに義援金を寄付してもらおう作戦!〜炎の六番勝負〜」の文字とともに8枚の馬券コピーが貼りつけられている。

なんと262倍の超万馬券を含めて3勝3敗。

JRA、すごい!
Uさん、もっとすごい!!
この義援金は大切に使わせていただきます。
どうもありがとうございました。

ゲストキャスターの競馬評論家・井崎脩五郎さんを囲んでランチの後、四谷のスターバックスでNHKのHディレクターと待ち合わせ。
なんでも7月20日に「21世紀のテレビはどうなるのか?」というテーマで特番を放送するそうで、僕が絶対に興味を持つだろうと先輩放送作家の下尾さんが「アメリカに帰っちゃう前に会って話をしたら?」と紹介して下さったのだ。

番組の内容は2000年12月にスタートするBSデジタル放送で何が変わるのか。
家電メーカーはどんなハードやインターフェイスを考え、放送局はどんなコンテンツを用意しようとしているのか?
デジタル放送を一足先にスタートしたアメリカの現状も取材中だという。
こりゃ、僕の興味そのまんまじゃないか。
しかもHさんは「番組の中で一人芝居のショートドラマコーナーを考えているのだが、その脚本をお願いしたい」とおっしゃってくださったのだ。

ぜひ引き受けたい!
たが、僕はまもなくL.A.に帰らなければならない。
電話とメールで打ち合わせすればとりあえず形にするくらいはできるだろう。
しかし、細かく作り込むことが前提のこの仕事は無理だ。
泣く泣くお断りする。

「では、鈴木さんの代わりに書いて下さる方をご紹介くださいませんか?デジタル関係の知識があって、芝居のノウハウをお持ちの方を…」
それならバッチリの男を知っている。
放送作家にして劇団吟遊市民代表・倉迫康史。
彼なら間違いなくいい仕事をしてくれるだろう。
その場で携帯に電話して明日NHKで会う約束を取り付ける。
それにしても自分でできないのが残念だなぁ。

夜、アールヒルズのテレビ朝日に金沢さんを訪ね、西麻布で和食をごちそうになる。
3週間の日本滞在中にはいろんな人においしいものばかりごちそうになっている。
これでL.A.に帰ったら僕のお腹はどうなっちゃうんだろう(笑)。


6月24日(木)
午前10時起床。

NHKでHディレクター、倉迫と打ち合わせ。
NHK放送技術研究所が作ったデジタル放送の資料はいつか授業のレポートにも使えそうだったので、しっかりいただく。
倉迫も「これはやりがいのある仕事ですね」と手応えを感じてくれたようで一安心。
自分が直接関われないのが本当に悔しいけれど。

その後、アルクのスタッフと代官山にある石川次郎さんのオフィスへ。
改めて推薦文のお礼を言うと同時にアメリカ大陸横断ドライブ出発のあいさつだ。

次郎さんはかつて自分が「平凡パンチ」編集者として初めてアメリカ取材したときのエピソードなどを話しながら僕らの旅にエールを送ってくれた。
「オレたちの頃は何を見ても何を書いても日本人が知らないことだらけだったんだよ。情報が氾濫している今の方が書くのはかえって難しいかもな」
「毎日ホームページをチェックするから頑張れよ!」

おおっ、次郎さんが毎日読んでくれるなんて、すごいプレッシャーだ。
こりゃ、いいかげんなことはかけないぞ(笑)。

いよいよ明日帰国ということでお土産ショッピング。
99円ショップで食料品を大量に買い込む。
ドラッグストアで詰替用のボディーソープも忘れずに。

買いまくった本と食料品で荷物はパンパンに膨れ上がってしまった。


6月25日(金)
午前10時起床。
3週間居候させてもらった友人の車で成田空港へ。

到着したときにはまったく気づかなかったのだが、第1ターミナルの北ウィングは改装されてすっかりキレイになっていた。

ユナイテッド航空のカウンターでチェックイン。
滞在中に買いあさった本40冊以上を詰め込んだ荷物の重量はなんと54kg!
係の人が渋い顔で「重量オーバーなんですよね…」と言うので、慌てて、でもシラッとして「え〜っ、そうなんですかぁ? 来た時と中身はほとんど変わってないんですけど(実は大ウソ)…。その時は何も言われなかったなぁ」なんてごまかす。
「本来は追加料金をいただくんですが、往路でそう言われなかったのなら仕方ありませんね。今回は特別ですよ」ということで無事チェックイン終了。
書店でお土産用のH系雑誌(笑)を、免税店で自分用のショートホープをそれぞれ購入する。

1年ぶりの日本。
あっという間だったけれど、充実した3週間だったと思う。
会う人ごとに「頑張れよ」と励まされ、改めて僕はいろいろな人に助けられながら留学しているんだということを実感した。
ただメシの恩に報いるためにも(笑)、まだまだ頑張って勉強しなくては。

UA890便は定刻通り雨の成田を離陸した。

《日付変更線通過》

「ただいま、Los Angeles!」
3週間ぶりに帰ってきた僕を出迎えてくれたのは抜けるような青空と篠原さん、Mikioさんの“三十路組”だった。
日差しは強いが湿気は低い、典型的なL.A.の夏空。
素直に「ただいま」と言える、僕のホームタウンだ。

篠原さんとMikioさんは明後日から1ヶ月の「アメリカ大陸横断ドライブ」に出かける仲間。
久しぶりの再会に話も弾む。

アパートまで送ってもらって一旦解散。
荷物を軽く整理した後、僕がいない間に調子が悪くなったメールソフトの調子を見るため、Mさん宅へ。
東京にいる僕の携帯にまで電話してくるほどだから、相当心細かったのだろう。
それでも56才で単身留学し、パソコンにチャレンジしている根性には頭が下がる。

夜、仲間たちが続々と僕のアパートに集まってくる。
帰国祝いと旅の壮行会を兼ねたパーティーといえばそれらしく聞こえるが、要するにみんなでワイワイ騒ぐのにもってこいの理由があったというだけ(笑)。
時差ボケでフラフラのまま夜は更けていくのだった。


6月26日(土)
午前8時起床。
仕事を休んで母親に会いに来るMさんのご令嬢mちゃんを迎えに空港へ。
L.A.に来て初めてフリーウェイを運転するというMさんのナビゲーター役だ。

無事ご対面を果たした2人と一緒にSanta Monica Placeで中華ランチ。
一時帰国中に続いて今日もまたただメシをごちそうになってしまった。

アパートに帰ってきてたまっていたメールに片っ端から返事を出し、明日からの旅の準備。
またしばらく家を空けることになる。

急に思い出してインターネットで先学期の成績をチェック。

RTVF315 New Direction in Electronic Media
A-
RTVF461 Computer for New Media
A

おっと、「-」は余分だぜ(笑)。
やっぱりクラスディスカッションへの参加点が足りなかったのかな。
ま、しょうがないといえばしょうがない。

さあ、いよいよ明日から「アメリカ大陸横断ドライブ」の始まりだ。
準備は万端。
楽しい旅になるといいな。

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