「Los Angeles留学日記」

TOP

留学総合掲示板
総合掲示板過去ログ1
10 11 12
13 14 15 16 17 18 19 20
今日はこれが英語で言えなかった1
  掲示板
L.A.いい店やれる店
掲示板
チャット
書籍版のご紹介
イン的エン屋掲示板

筆者Profile  最新版
学校選び編
TOEFL対策編
出願編
合格〜渡米準備編

渡米〜生活準備編1
コミカレESL編1
98年夏休み編1
大学院98年秋1
10 11
98-99年冬休み編1
大学院99年春1
10 11
99年夏休み1  
アメリカ大陸横断ドライブ1 
10
再び99年夏休み編1
語学学校99年秋1 
1999年12月 
2000年1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
中南米縦断バスの旅
2000年9月 10月 11月 12月
2001年1月 2月 3月
世界一周の旅
2001年9月 10月 11月 12月
2004年〜最新

留学生リンク1  
アメリカ大学リンク
Los Angeles生活便利リンク
スライドショー

CD-ROM付き書籍出版への道1
 
更新履歴1

メール

Civilian casualties update
Amazon.co.jp アソシエイト


語学学校99年秋5
(1999年11月1日〜)

11月1日(月)
いつものように語学学校へ。
今週から台湾人と日本人のクラスメイトが1人ずつ増えた。

会話のクラスでキング牧師と黒人運動についてのテープを聞く。
これはTOEFLでも頻出のトピックだし、なにより僕はこの夏休みにキング牧師の生家を訪ね、彼の偉業についてのビデオも見てきた。
1人の黒人女性が乗り合いバスで白人に席を譲るのを拒んだのをきっかけに運動に火がつき、それがワシントンD.C.の大パレードと有名な「I have a dream」スピーチ、そしてCivil Rights Actにつながっていくという一連の流れを知っていたので、あまり苦労せずに聞き取ることができた。
「キング牧師の非暴力路線はインドのガンジーの影響ですよね?」なぁんて知ったかぶりまでしたりして(笑)。

面白かったのは先生の余談。
「アメリカはまず黒人、次に女性の人権を認めてきた。そして今、問題になっているのは同性愛者の人権だ」と。

アメリカ史の本を読んで、僕もこの人権史について考えたことがあった。
「自由・平等・正義」を国是とした実験国家アメリカでは、建前上、差別や迫害を許さない。
個々人の内に否定しがたい差別感情があろうとも、それは法によって公に否定される。
「平等な社会」という高い理想を実現する「実験」のために、国民1人ひとりが内なる葛藤と闘っているのだと。
人種、性別に続いてセクシュアリティーによる差別もやがて否定されるだろう。

日本にいたときは「差別」と言われてもピンとこなかったけれど、ここアメリカではマイノリティーであることが身にしみる。
あからさまな差別を受けるわけではないが、言葉ではうまく言い表せない違和感を感じることがあるのだ。

最近、どこかで読んだ文章の中に「国際感覚とは世界の中での自分のポジションを客観的に位置づけられることだ」というのがあった。
そう考えれば、自分を相対化できるマイノリティーという立場も悪くないかもしれないな。

授業の後、日系書店を3軒はしごして、やっと「SPA!」最新号(11月3日号)を入手。

日本で330円の雑誌が$8.57(=約900円!)もするのだが、中身を読んで買わずにはいられなかった(笑)。

渡辺浩弐さん連載の「バーチャリアン日記」(160ページ)。

ここで我が「Los Angeles留学日記」がめちゃくちゃ誉められていたのだ。

すごく嬉しい。
誰に誉められても嬉しいけれど、自分が尊敬する人に誉められる気分は格別だ。
これだけで今日もまた日記を書くエネルギーがわいてくる。

ここまで書いて突然、既視感に襲われた。
慌てて本をひっくり返してみると、あった、あった。

仲間内のよい評判はそれ自体が重要な報酬だからだ。
「伽藍とバザール」(109ページ)

ハッカーたちがなぜLInuxなどオープンソース・ソフトのプログラミングに積極的に関わるのか、その動機を説明した部分。
う〜む、今になって心からこれが理解できたような気がする(笑)。
よし、まだまだ頑張らなくっちゃな。


11月2日(火)
睡眠時間もたっぷり。
ばっちり体調を整えてUCLA Extensionへ。
「Fundamentals of New Media for the Entertainment Professional」2回目の授業だ。

今日のゲストスピーカーはEMI Recorded MusicのSenior Vice President、Jay Samit氏。
クリントン大統領をはじめとした有力政治家や有力企業トップにニューメディア関連の助言をする一方、今までに300タイトル以上のCD-ROMをプロデュースしてきたという業界の大物らしい。

そんな彼が現在、音楽業界に身を置いているのは「回線速度の関係で映像ビジネスより音声ビジネスの方が先に革命に見舞われるから」だとか。
そういえば先日、一時帰国したときにラジオと音楽関係の人の方が緊張感があったような気がしたのはそのせいか。
授業はまず彼がレクチャーをし、生徒が自由に質問するという形式で行われた。

ところが、である。
彼の英語が聞き取れないのだ。

いや、聞き取れないというのは正確じゃない。
彼は声も大きいし、滑舌だって悪くない。
彼の口から発せられる音声が耳に入っては来るのだが、それが脳みその中で意味のある文章として実を結ばないのだ。

なぜだ!?
どうしてなんだ!?
講師のAustin氏の英語は分かるのに、Samit氏の英語だけが理解できない。
まるで渡米直後の英語力に逆戻りしたような気がする。
悔しい。
こんな屈辱感は久しぶりだ。

かろうじて聞き取れた部分だけ、必死でノートをとる。

  • 携帯端末の将来性は大きい。
  • クリエイターと消費者が直結するビジネスモデル。仲介業者の役割が変わる。
  • SDMT --- MP3の著作権対策。
  • ニッチ市場でもビジネスが成立する。
  • ビットの形になるものは世界中どこからでも買える → 一物一価に収束していく(統合EUのように)
  • ビートルズの著作権はまもなくパブリックドメインになる。
  • 小売店はメーカーにとらわれず、誰のコンテンツでも売れるのが強み。
  • 電話、保険、テレビ、自動車販売 あらゆるサービス業が「デジタル化」する。
  • 1 to 1マーケティング --- 個人の嗜好性がつかめる。
  • ターゲット分析→顧客を選別した広告→ユーザーにとっても有意義な情報になる。
  • インテルチップの中に個人識別番号(Big Brotherか?) --- プライバシーを守るには?
  • GAPの世界最大売上店は「gap.com」。
  • 音楽データの中に電子透かし
  • テレビを見ながらチャット --- 誰がその場所を押さえるか?

2時間半のレクチャーと質疑応答で理解できたのはたったこれだけ。
本当に悔しい。
生徒の質問から推測するに、もっともっと僕が興味を持っているトピックを話しているはずなのに。
へこむなぁ。

いつか英語がばっちりになったらもう一度しっかり聞いてみたい授業だ。
その前に、そんな日が本当に来るのだろうか?


11月3日(水)
昨夜は日記更新のあとチャットしてしまったが、なんとか宿題もやって語学学校へ。
UCLA Extensionの授業で英語が聞き取れなかったショックをひきずりつつも、「これを乗り越えるためにはとにかく勉強するしかないんだ」と気合いを入れて教室に向かう。

文法、リーディングに続く会話のクラスでKeith先生が言った。
「今日はクイズをやるよ」
テキストに出てきた単語の意味を英語で書くという小テストだ。

授業の前半でクイズは終了。
後半の答え合わせの時に事件は起こった。

「minister」の意味を答えるように指名された僕はこう言った。
「Politician who is a government leader, or leader of church.」
中学生英語だけれど、「大臣」または「牧師」と答えたつもりだった。

すると、先生は意外なことを言った。
「アメリカ人のほとんどは『牧師』という意味でしかこの単語を使わないから、こっちだけ覚えておけば十分じゃないかな」

え〜っ、そんなことないんじゃないの?
L.A. Timesを読めば「Prime minister(首相)」という表現はよく見かけるし、アメリカ人に日本の政治を説明するときにだって「大臣」という意味でよく使う。
アメリカ人が使わないとしても、僕らにとっては決して「覚えなくてもいい意味」じゃないはずだ。

僕がそう主張すると、先生は少しムキになってこんなことを言う。
「ESLの学生はほとんどL.A. Timesなんて読まないだろ?」
「『大臣』っていう意味を知ってるのは教養人(educated people)だけだよ」
「第一、多くのアメリカ人は日本の首相が誰だかなんて知らないよ」

カッチ〜〜〜ン!
そりゃ、僕もL.A. Timesなんてめったに読まないさ。
だからといって「どうせ読まないだろ」はないじゃないか。
少なくともこのクラスのほとんどはeducated peopleがいっぱいいる(!?)大学への進学を目指しているんだ。
ESL学生を見くびってもらっちゃ困る。

必死で主張する僕を先生はサラッと流して次の問題へ。
納得いかんぞ!

怒りが収まらない僕は、授業の最後にもうひとつ先生に噛みついてしまった。
「ボキャブラリーが大切なのはよく分かりますが、これは会話のクラスです。もう少しリスニングやスピーキングに重点をおいたテストの方法はないでしょうか?」
そう、単語の意味を紙に書いたところで耳と口の能力向上には直接結びつかない。
担当が変わる前の先生はテープやビデオを使ったクイズをやっていたのだから、できないことはないはずなのだ。

すると、先生は明らかに不愉快な顔になって、「ESL学生がしゃべれない最大の理由はボキャブラリー不足なんだ」という。
それは分かるよ。
分かるけど、そのために文法やリーディングのクラスで読み書きをやっているんじゃないか。
同じボキャブラリーでも、せめて会話のクラスでは耳と口を使った方法をとってほしい。

しつこく食い下がる僕をうるさいと思ったのか、先生は「分かった。Hiroの意見は気にとめておくよ」と言い残して教室を出ていった。

あ〜あ、気分は最悪。
ここまで主張することはなかったのかなぁ。


11月4日(木)
今年5月にテレビ朝日「トゥナイト2」のE3取材の時にコーディネーションでお世話になったKokoさんが「ご飯でも一緒に食べませんか? 紹介したい友だちもいるし」と声をかけて下さった。
Kokoさんとは先日、工藤夕貴さんとの食事会の時にばったり再会し、「L.A.の日系メディア業界は狭いね」とメールアドレスを交換していたのだ。

我が家からほど近いソーテルのNijiya前で待ち合わせし、居酒屋「風来坊」へ。
L.A.にあるCM制作会社に勤めるKayokoさんと某有名メディア企業(本人の希望により特に名を秘す(笑))でCG関係の仕事をされているAさんを交えて手羽先ディナー。

びっくりしたのはAさんが僕のホームページを読んで下さっていて、以前に一度メール交換もしていたということ。
こんな形でお会いできるなんて、ホント世間は狭い(笑)。

このAさんのお話が僕にとってはとても刺激的だった。
Aさんはあるシェアウェアの制作者でもあり、その作品を通じてネット上にコミュニティーが形成されている。
映像と音楽に関連したそのソフトはすでに多くのヘビーユーザーを獲得しており、ある意味で文化的に1つの基軸を提示しているようだ。
「ゆくゆくはフルタイムでこのソフトに関わってライフワークにしたいんですよね」と語るAさんは文句なしにカッコイイ。

インターネットの普及はおそらくクリエイターの仕事のやり方を大きく変えるだろう。
自分の信じる作品を独力で世に問うことができ、世界中からその支持者を獲得することができる。
ユーザーと直接コミュニケーションすることができ、時には他のクリエイターとのコラボレーションも可能。
これまでごく一部の大御所にしか許されなかった自由で快適な制作環境が比較的容易に手に入るのだ。

音楽業界ではすでにアーティストとユーザーが直接つながる動きが始まっているけれど、データ回線の拡張に伴って映像業界も本格的に動き出すだろう。
この動きはもう誰にも止められない、と僕は思う。

ところで、昨日の語学学校での「事件」についてたくさんのメールや掲示板への書き込みをいただきました。
思わぬ反響に本人が一番びっくりしていますが、いろいろ考えるきっかけになったり、励まされたり、とても感謝しています。
まだ僕の中で複雑な感情が渦巻いていますが、ひとつひとつ自分で消化しながら、折に触れ考えたことを書いていきたいと思います。
本当にどうもありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。


11月5日(金)
毎週顔を出しているCSUNのCoffee Hourをパスして語学学校へ。
というのも、以前にこのホームページを通じて知り合ったいけしたゆうじさんが授業を見学にくるからだ。
いけしたさんは映画のバイリンガルシナリオを出版しているスクリーンプレイ出版で5年間編集長をつとめた後、今年6月からCalifornia State University, fullertonの大学院でTESOL(英語教授法)を専攻しているという、いわば英語教育の専門家。
ESLのクラスを見学し、それを15ページ(!)のレポートにまとめるという課題があるのだそうだ。

知人、しかも英語のプロに見られているというので少し緊張気味だったけれど、今さらとりつくろっても仕方がない。
いつも通りに授業を受ける。
いけしたさんは先生の教え方や生徒の反応などを観察してノートを取りつつ、僕の弱点をチェックして下さった。

まずは「『スィー』と『シー』の発音がゴッチャになっているから気をつけた方がいい」。
発音記号フォントがないからうまく説明できないのだけれど、要するに『C』と『she』の音が混乱しているということ。
これは時々自分でも自覚していた。
カタカナ英語の弊害だよなぁ、やっぱり。

そして「言いたいことを正確に伝えるためにライティングの機会を作った方がいい」。
授業中の発言に間違った表現があれば先生がその場で直してくれる。
だが、それは一過性のものになりやすいから、意識的に書く機会を増やし、ネイティブにチェックしてもらうのが効果的だろうとのこと。
確かにCSUNの授業以来、英語を書く機会はめっきり減っている。
せいぜいクラスメイトとのメールのやりとりくらいだもんなぁ。

授業の後、Mさんを誘って3人で食事。
今年3月まである高校で英語を教えていらっしゃったMさんに現場の話を聞きたいといういけしたさんのリクエストだ。

コミュニケーションの手段としての言語ではなく、受験問題を解くための技術を教えざるを得ない現場の実状。
アメリカに来て生徒の立場も経験したMさんの不満はよく分かる。
もちろん、いけしたさんも現在の英語教育に問題意識を持っており、2人の意見交換は側で聞いていてとても興味深かった。

「せっかくお2人にお会いするのでネタを用意してきました」と、いけしたさんがカバンから取り出した紙にはこんな一文がプリントされていた。

Finished files are the result of years of scientific study combined with the experience of years.

「これを声に出して読んでみて下さい。『f』の音は全部でいくつありますか?」
さあ、みなさんはどう思いますか?
正解は明日の日記で!
(といってもそんなに深く考えるもんじゃないんですけど)


11月6日(土)
たいした勉強をやっていないとはいえ、週末が来るとやはりホッとする。
たまった洗濯物をアパートのコインランドリーに突っ込み、部屋の掃除。
それから「FRIENDS」のビデオを繰り返し見る。

午後、Kojunが来て「Inside Edition」のビデオチェック。
こちらのテレビにはクローズドキャプション(字幕)機能が付いているのだが、難点はビデオを一時停止したときに字幕が消えてしまうこと。
ところが、先日一時帰国したとき、いけしたさんの紹介で購入した日本製のキャプションマシンは違う。
語学学習者用だけあって一時停止中もしっかり字幕が残っているのだ。
これでビデオチェックがずいぶん楽になる。

夕方から勝治が遊びに来ることになっていたのだけれど、急に予定が変更になってキャンセル。
で、「デジタルメディアは何をもたらすのか」(有馬哲夫・著/国文社)を読み始める。
「テレビの夢から覚めるまで」という著作もある早稲田大学教授によるメディア論だ。

「声」の文化から「文字」の文化へ。
そして「印刷」の文化から「テレビ・ラジオ」の文化を経て「デジタルメディア」の文化へ。
ウォルター・J・ヤングやマーシャル・マクルーハンの研究をふまえた上で、デジタルメディアによる社会と文化の変化を考察していていて面白い。

さあ、それではここで昨日の問題の正解です。

Finished files are the result of years of scientific study combined with the experience of years.

『f』の音は全部で6つ。

なぁ〜んだ、そんなの当たり前じゃん、というなかれ。
同じ問題をアメリカ人に出すと、「3つ」と答える人が多いのだそうです。
なぜか!?

ネイティブがこの文を読むと、リダクションが起こって「of」の「f」の音が落ちてしまうのです。
つまり、彼らにとっては

Finished files are the result o years o scientific study combined with the experience o years.

となるから『f』の音は3つになってしまうというわけ。
「top of the mountain」が「タッパダマウントゥン」になるのと同じですね。
自信満々で「6つ」と答えた僕の英語はまだまだネイティブにはほど遠い、というオチでした。
チャンチャン。


11月7日(日)
昼頃起きてのんびりテレビを見る。

15分おきにトップニュースを繰り返す(少しずつ更新されてはいる)CNNのHeadline Newsチャンネルを見るも、なんだかうまく聞き取れない。
もしかしたら耳が退化しているのか(笑)!?
相変わらず調子はよくないなぁ。

「デジタルメディアは何をもたらすのか」(有馬哲夫・著/国文社)読了。
パラダイムシフトというキーワードを使い、デジタルメディアが社会や人間にもたらす変化を論じた好著だと思う。

パラダイムシフトは前にあったものを即座に絶滅させることはない。新しい要素が加わることによって従来のものの性質が少しずつ変わっていく。そしてその変化が他のものにも波及する。それはけっして劇的変化ではない。だが、あらゆるものの性質や機能を変えていくため、そしてその変化が他のあらゆる領域に広がるため、ある意味ではクーンのいう科学上の革命よりも大きな変化を起こす。われわれはそれが大きなパラダイムシフトであったこと、大きな転換期であったことを、十年か二十年後に振り返って発見する。

技術の進化がメディアを変化させ、それは人間のリテラシーやメンタリティーに影響を及ぼす。
著者は主に人文科学の研究方法の変化について述べているけれど、同じことがエンタテイメントやジャーナリズム、教育やビジネス、趣味の領域にも起こるのは間違いないだろう。
かつてマクルーハンやアルビン・トフラーが提示した大変化が今、まさに起こりつつあるのだ。

著者はまた、このパラダイムシフトに伴う衝突(conflict)にも言及している。
新旧のパラダイムの価値観が対立するというわけだ。

保守的な人の目には新しいメディアは既存のメディアと根本的に変わらないと映ってしまう。(中略)アメリカのテレビの初期の頃、ラジオに親しんだファンはテレビの前で目をつぶって音声だけ聞いたという。

テレビに親しんだ僕らにとっては笑い話にしか聞こえないけれど、同じことがデジタルメディアについても言えないだろうか。新しいメディアの特質に目をつぶり、既存のメディアの手法でしかインターネットに触れることができないのなら、僕らは彼らを笑えない。

この新しいメディアは何をどう変えるのか?
はっきりとした答えを出せる人はきっとまだいないのだろう。
学校で先生に教えてもらおうなんていうのは虫がよすぎるのかもしれない。
でも、僕は少なくともしっかり目を見開いて、この変化と併走していきたいと思うのだ。

「語学学校99年秋4」  「語学学校99年秋6」