「連休なんて全然関係ないもんなぁ」とグチっていたら、突然ぽっかり休みができた。
と言っても今からどこかに遊びに行く気力があるはずもなく、ブラブラ買い物をして、あとはひたすら寝る。
いやぁ、目覚ましをかけないで寝るベッドの気持ちいいことよ(笑)。
テレビ屋が言うのもなんだが、あんまり面白いテレビもないので、ゴロゴロと読書。
「私たちの愛」(田原総一朗+田原節子・著/講談社)
テレビでは数々の論客を仕切って“猛獣使い”とさえ呼ばれる著者夫婦がプライベートな恋愛、夫婦関係を交換書簡のように書いた本。
氏のプライベートにこんな「純粋」な不倫があったとは意外だった。
「表現のビジネスーコンテント制作論」(浜野保樹・著/東京大学出版会)
メディア論の専門家でマルチメディアにも詳しい著者が主にハリウッド映画に範を取りながらコンテンツの企画から制作、流通、消費まで体系的に整理してまとめた概論書。
大学に「メディア論概論」あるいは「エンタテイメントビジネス概論」の授業があればその教科書となるべき本で、著者いわく「まとまった文献がなかったので仕方なく自分で書いた」とのこと。
著者も書いているように「クリエイティブで本当に面白く重要なことはこの先にある」のは分かるけれど、それにしても価値ある仕事だと思う。
このところずっと気になっていたのだけれど、テレビでかの国を「北朝鮮」とだけ呼ぶようになったのはいつからだろう?
かつて僕がニュース系の番組で原稿を書いていた頃は(そういう番組もやってたのよ、一応(笑))少なくとも番組の初出時には「北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)」とカッコ付きで「正式国名」を併記せよというのが決まりだった。
ただ「北朝鮮」と呼ぶのはよくないし、さらに「北」などと省略するのはとんでもないと言われていたのだ。
それが今ではアナウンサーでさえ「正式国名」で呼ぶことはほとんどなくなっている。
拉致問題が明らかになった今、かの国を「民主主義」なんていう名で呼ぶのはとんでもないという国民感情を反映しているのだろう。
細かいところだけれど、こういうところもテレビは視聴者の鏡なんだなぁと思う。
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