午前9時、東京都庁の45階にある展望台へ。
ここに文化放送のサテライトスタジオ「SOLA」がある。

そして、今日、このスタジオで、僕が長年お世話になった「梶原しげるの本気でDONDON」最終回の公開生放送が行われるのだ。
僕がこの番組に拾ってもらったのは今から11年半前のこと。
当時まだ大学生で見習い放送作家だった僕が初めて本格的に関わった番組だ。
以来、留学する直前までの10年間、僕は毎週スタジオに通い、ネタを出し、構成を考え、取材し、そしてマイクの前でレポートした。
リクルート事件も大喪の礼も湾岸戦争もオウム真理教事件も阪神大震災も、ジュリアナもたまごっちもセクハラも援助交際も、僕はこの番組を通じてリスナーと一緒に考えた。
素晴らしい出演者の方々、プロデューサーやディレクター、放送作家の先輩に囲まれて、メディアとは何か、エンタテイメントとは何かを学ばせてもらった。
その後、報道からコントまで様々な番組に関わったけれど、僕の放送作家としての姿勢はすべてこの番組から教わったと言っても過言ではない。
自分のわがままで番組を離れL.A.で留学生活を始めた後も、一時帰国するたびに「ちょっと学費を稼いでいきなさいよ」と暖かく迎えてくれる、いわばホームタウンのような番組だった。

そんな「本気でDONDON」が終わってしまう。
毎年3月と9月の番組改編期に、僕はいくつもの番組の最後を見届けてきたけれど、この番組だけは特別なのだ。
番組の魅力は今でも少しも衰えていないし、聴取率だって悪くない。
「帰国したらまた復帰させて下さいね」というお願いは僕の本心だった。
それなのに…。
最終回。
歴代のゲストキャスターが集まって下さったスタジオの外には熱心なリスナーたちが黒山の人だかり。

何百回も身体にしみこむまで聴いてきたエンディングテーマが流れて番組は12年の歴史に終止符を打った。
不思議なほどあっけない幕切れだった。
関係者に一通りのあいさつを済ませた僕は、その足で5月に立ち上げる予定のインターネットプロジェクトの打ち合わせに向かう。
僕の企画はエンジニアやスタッフの方々にも評判がよく、チーム全員が希望に燃えている。
ひとつの終わりとひとつの始まりが同じ日に重なるとは、なんという巡り合わせだろう。
プレゼンを終えて合流した打ち上げ会場には改編期で多忙なはずのスタッフがほとんど帰らずに残っていた。
「またいつか同じメンバーで一緒に面白い番組を作りましょう!」
経験上、そんなことが一度も実現したことがないのは誰もが知っている。
次に帰国したとき、エンタテイメント屋としての僕を育ててくれたホームタウンはもうない。
巣立った雛鳥が自分の力で新しい巣を作るべき時期がやって来たのだろう。
そして、それが僕を育ててくれた人たちへの一番の恩返しになるばずだ。
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