DMV(Department of Motor Vehicles)から車の登録更新通知が届いていた。
期限を見ると4月20日。
もうこの頃にはL.A.にいないから更新の必要もないと思うとなんだか感慨深い。
L.A.に来てすぐ自動車免許を取るためDMVに通ったのがついこの間のような気がする。
「デジタル価値創造」(馬場靖憲・著/NTT出版)読了。
産業革命以来の工業社会が終わり知識・サービス社会へと移行する21世紀には価値創造に根本的な変化が発生すると考える著者がその方法論を探っている。
中でも面白いなと思ったのは「なぜ日本製のテレビゲームが世界で広く受け入れられているのか?」という疑問に対する仮説。
TVゲームとは不合理のかたまりとしての人間の感情に、プレイを通じて直接に働きかけ、ファジーな心理から面白さを引き出すことを目的として開発される人工世界である。目的の実現のためには、ゲームの開発側が対象となる人間の認知の発現メカニズムを理解し、それに的確に働きかける必要がある。つまり、開発者はそのゲームで遊ぶであろうユーザーが示す反応を、先取りして読めるセンスをもたなくてはならないのである。
このようなTVゲームの開発に不可欠な資質をもつ人材が、地理的・歴史的諸条件から日本に偏在してみられるのではないかというのが、ゲーム開発側に広くみられる仮説である。われわれの社会の根底に流れる、他人へ配慮することを是とする価値体系は、ゲーム開発制作のさまざまな場面で有利に働いていると指摘されている。何よりも強調されなければならないのは、日本流の気配り・心配りという伝統が、見えない相手の反応を事前に読むというゲーム作りの核心を実現するために有利に働いているという可能性である。
これは面白い。
確かに「相手の気持ちを察して心遣いする」というのは日本人の得意とするところだろう。
「鳴かない車輪は油を差してもらえない」というくらい自己主張を重んじるアメリカとは文化的な価値観が大きく違うというのは痛いほど感じている(笑)。
「きっとプレイヤーはここでこう動こうとするだろうから、ここにトラップを仕掛けておこう」なんていうゲーム作りの文法が日本人気質と相性がいいというのはかなり説得力があるんじゃないだろうか。
いや、待てよ。
日本流の気配り・心配りがこうした双方向コンテンツ制作に有利に働くのであれば、その対象はゲームに限ったことではないはずだ。
ウェブサイトに代表されるマルチメディアコンテンツ一般についても同じことが言えるんじゃないだろうか?
目的の情報にたどり着くためのナビゲーションとか、直感的に使いやすいショッピングカートとか。
ユーザビリティーの高いコンテンツを作るにはユーザーの行動を察して配慮することが重要なはずだから。
だとすれば、IT革命の第二幕には日本の出番も十分あるような気がするのだ。
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