お尻の皮が火を噴きそうになりながら、午前4時、ペルーの首都・リマに到着。
群がってくる客引きをかき分けて、ペルー人青年2人組が僕をタクシーに乗せ、料金交渉までしてくれた。
最後の最後までありがとう。
感謝してるよ。
丸1日半に渡るバス移動で僕の身体はクタクタになっていた。
とにかく足を伸ばして眠りたい。
僕はタクシーの運転手さんに「地球の歩き方」を示してホテルまで行ってもらった。
とにもかくにもチェックイン。
シャワーも浴びずにベッドに入ったのだった。
で、午前10時起床。
どうもこの旅を始めてから朝の目覚めが早い。
いいんだか、悪いんだか…。
改めてホテルの装備を確認。
 
1泊30ドル近くも出してこのホテル(Concorde)を選んだのは、そろそろ日記の更新をしようと思ったから。
ところがこのホテルの電話にはモジュラージャックがない!
しかたない、ホテルを移らねば。
僕はぬるいお湯のシャワーを浴びて、チェックアウトしたのだった。
このホテルがあるのはミラフローレスという新市街。
セントラルパークを中心にした近代的な街並みだ。
  
僕もオープンカフェを見つけてドーナッツとカプチーノで朝食をとる。
続いてやってきたのは公園内にあるツーリストインフォメーション。

ここでホテルリストをもらおうと思ったのだけれど、用意されていたのは2軒のパンフレットだけ。
う〜む、ダメかぁ。
結局、困った時の「地球の歩き方」。
なんだかんだいって参考になってるなぁ。
で、チェックインしたのが同じミラフローレスにあるSuites Eucaliptusというホテル。

なんだか洞窟の中みたいなインテリアでしゃれている。
もちろんモジュラージャックは確認済み。
これで今夜の更新はバッチリだろう。
とりあえず、パナマ以来のたまっていた洗濯をして、市内散策に出かける。
実は、リマに来たらどうしても見ていきたい場所があった。
それは旧市街の美しい街並みでも、太平洋を臨む海岸でもない。
日本ペルー文化会館で住所と地図をコピーさせてもらい、迷いながら歩きつづけてやっとたどり着いたその場所は…
Tomas Alva Edison 210, San Ishidoro
Ubicacion de la Residencia del Embajador japones en el Peru

1996年12月、MRTA(トゥパク・アマル革命運動)の武装グループが乱入し人質を取って占拠した事件の舞台、元日本大使公邸。
当時、テレビ中継で見たあの場所が今どうなっているのか、自分の目で確かめたかったのだ。
日本ペルー文化会館の人は「今はただの公園ですよ」と言っていたが、周りを囲んでいる白い壁はおそらく当時のままなのだろう。
近づいてみると、玄関の扉には銃弾が通った跡らしい穴がいくつもあいている。
 
穴から中を覗くと確かに公園らしい緑が見えるが、入口は見つからず、中に人影も見当たらない。
本当にここが元公邸だったのか?
唯一のそれらしい証しはケーブルが切れ、錆びついたまま残されたた防犯カメラ。

閑静な住宅街にあって異様な光景だ。
今でもリマ市内のタクシーに「青木大使の公邸」といえば誰でも分かるというこの場所はペルーの人たちにどんな記憶を残しているのだろう。
この国から遠く離れた日本では時が流れるにつれ人々の記憶がだんだん薄れているのは間違いないけれど…。
<今日の支出>
タクシー代 US$5
ホテル代(Concorde) 69.20ソル
ドーナッツ&カプチーノ 10.70ソル
ホテル代(Suites Eucaliptus) US$33
コピー代 0.25ソル
乗り合いバス 1.20ソル
パン、ジュース、スナック 26.30ソル
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