いまひとつ気分が乗らないままテキストの宿題。
何十回、いや何百回も声に出して発音してみたけれど、いまだに[r]と[l]をしっかり聞き分けられる自信はない。
こうなったらできるまでとことんやってやろうじゃねぇか(笑)。
今日届いたばかりのDigitrends誌10月号に目を通す。
「Ready For Wireless?」と題された携帯端末へのマーケティング戦略がメイン特集なのだが、内容に新味は感じられない。
アメリカでも携帯インターネットが盛り上がりつつあるのは確かだけれど、この分野はやっぱり日本に一日の長があるのだろう。
「[IT革命]原論」(武田徹・著/共同通信社)読了。
著者は情報化社会で起こる諸現象をフィールドとするジャーナリストで、マルチメディアCD-ROMブームやネットストーカー事件など様々な現象を取材、検証している。
そんな中で僕が印象に残ったのはこの記述。
我々は漢字を思い出す時、空中に指で字を書くそぶり(「空書行動」と呼ぶ)をする。その動作が非常に大切な意味を持っているという認知科学の研究がある。試しに指を動かないように押さえてしまうと、漢字を思い出す能力は低下するそうだ。
アルファベットに比べて漢字は複雑で数が多いため、視覚だけでは記憶しきれず、指を動かすことで身体でも覚える。そんな身体の記憶を引き出す方法が、先の空書行動なのだ(ちなみに空書行動は漢字文化圏でしか見られない)。
おおっ、そう言われてみればそうかもしれない。
アメリカ人の空書行動なんて、レストランで「お勘定よろしく!」っていうときにペンでサラサラ書くまねをするのくらいしか見たことないもんなぁ。
第一、空書行動したところで記憶の曖昧な単語の綴りを思い出すとは思えない(笑)。
文化の違いというのは意外なところにも潜んでいるもんだ。
著者はさらに続ける。
ところがキーボード入力が日常的になると、字形をなぞりつつ身体に刻み込む機会は失われ、漢字を記憶する力が薄れていく。ワープロを使うようになると漢字を忘れるというのは根拠があったのだ。
「よくかける電話番号は指が覚えている」というような経験は僕にもあるけれど、まさかキーボードをカチャカチャ打つ空書行動をしたって漢字が思い出せるはずはない。
著者は「だからキーボードじゃなくて手書きを大切にしよう!」なんていうありがちな説教を主張することなく、こんな風にまとめている。
デジタル化が文化の在り方を根底から変えてしまう可能性に意識的でありたい。
同感です、はい。
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