[R]と[L]の聞き分け問題について昨日の日記に「こういう問題こそハードディスク録音してランダム再生できればいいのに」と書いたところ、メリーランド州に留学していらっしゃるHYさんからこちらを紹介するメールをいただいた。
「英語リスニング科学的上達法」(山田恒夫、足立隆弘 ATR人間情報通信研究所/講談社 ブルーバック)
付属のCD-ROMを使って[R]と[L]の聞き分け練習ができるだけでなく、インターネットを使った公開実験までやっているところがすごい。
僕は残念ながらMacなのでプログラムを使うことができないのだけれど、機会があったらどこかのマシンからダウンロードしてやってみようかな。
それにしてもいろんなことを研究している人がいるもんだ。
掲示板で行われている不正コピーについての議論を読み、改めて考えさせられた。
僕がオンラインで初めてソフトウェアの不正コピーについてのやりとりを目にしたのは、まだインターネットが普及する前のNiftyのフォーラムでのことだから、おそらく6〜7年前のことだ。
たいていの場合、
「友だちからコピーしたソフトなのでサポートが受けられなくて困っています」
「それは違法行為ですよ」
「すみませんでした」
というやりとりで一件落着。
モラルの高いネットワーカーが初心者に対して「不正コピーは違法」というルールを伝え、少なくともオンラインという公の場でそれを口にするのは反則とされたものだ。
正直に告白すれば、僕もソフトをコピーして使ったことがある(あ〜あ、書いちゃった)。
でも、それは今の今まで公の場で公言したことはなかったし、常に後ろめたい気持ちが付随していたのも事実だ。
放送作家という職業はなぜか伝統的に著作権を持たないのだが、僕はどちらかといえば知的所有権を主張する側に近いところで仕事をしてきた。
1万枚しか売れなかったとはいえ(笑)、作詞した曲がCDとなって世に出たり、ラッキーにも本を出版させてもらえた立場は明らかに著作権を保護してもらった方が利益になる。
が一方で、コピーだろうがなんだろうが多くの人に聞いてもらったり読んでもらうのも嬉しいことだったりするのだ。
もちろん、だからといって法律で保護されている他人の著作権を侵害してもいいという言い訳にはならない。
しかし、コピーしても情報が劣化しないデジタル化の進展や、デジタルデータを広く早く流通させるインターネットの普及は著作権をめぐる環境を大きく変えつつあると思う。
その典型例がNapsterだろう。
今や世界中で4000万人が著作物である音楽データを無料でやりとりしている。
細かい条件によって様々な解釈はできるのだろうが、少なくとも各国の著作権法の主旨からいえばそれを侵害しているのは間違いない。
以前、ある先進的デジタルエンタテイメント企業に勤める友人が、音楽配信の将来像についての質問に「これは社内でも賛否両論があるのだけれど、デジタル化された音楽には“基本的に”(たぶん直接的な経済商品としてのという意味だと思う)価値は無いと考えている」と答えてくれたことがある。
インターネット界有数の論客エスター・ダイソンが「未来地球からのメール」(集英社)の中で「完全なコピーが容易にできるデジタルコンテンツの価格は限りなくゼロに近づく」と書いているのも同じことだろう。
もちろん、法律で保護されている著作物を不正にコピーするのは“現在のところ”違法行為。
だが、法律が定める善悪の基準は絶対的なものでなく、社会の状況によって変わるものだ。
多くの国で「社会悪」とされ禁止されているソフトドラッグを合法化する国もあるし、逆にアメリカはかつてアルコールを法律で禁じていた。
著作物のコピーが永遠に違法とされ続けるなんて誰が言い切れるだろうか。
コンテンツのコピーがごく当たり前になったとき、著作者はどこで制作努力への対価を得ることになるのだろう。
コンサートのチケット代やサポート料金が今よりずっと高くなったりするのかな。
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