我がアパートの管理を担当している不動産屋さんから契約更新のお知らせが届いた。
そうか、帰国してここに住み始めてからもう丸2年なのかと感慨深い。
家賃据え置きは助かったけれど家賃1.5ヶ月分の更新料は結構痛い。
そろそろもうちょっと仕事をしなきゃアパート追い出されちゃうよなぁ。
「遊びと人間」(ロジェ・カイヨワ・著/多田 道太郎、塚崎 幹夫・訳/講談社学術文庫)読了。
言うまでもないが、僕は「遊び」が大好きだ。
そしてそれ以上に他の誰かに楽しんでもらえる「遊び(娯楽)」を作るのが好きだ。
いずれにしても大好きな(笑)「遊び」の本質を考えたくて買った本。
まず、「遊び」とはいったい何なのか?
著者はこう定義する。
1.自由な活動(遊戯者が強制されないこと)
2.隔離された活動(あらかじめ決められた空間、時間の範囲に制限される)
3.未確定の活動(結果が先に分かっていないこと)
4.非生産的活動(新しい財や富を作り出さないこと)
5.規則のある活動(その世界の中に通じるルールがあること)
6.虚構の活動(日常生活とは異なる非現実であること)
その上で「遊び」の動機を4つに分類するのがこの本のハイライトだ。
すなわち、
1.競争(スポーツ全般、チェスなどゲーム全般)
2.運(賭け事、富くじなど)
3.模擬(ものまね遊び、仮面、仮装、演劇、見せ物全般)
4.眩暈(メリーゴーランド、ジェットコースター、スキー、登山など)
言われてみればそんな気がするでしょ?
逆に言えば、人々を夢中にさせる娯楽を作ろうとしたら、この4つの要素のどれか(あるいは複数)を盛り込まざるを得ないということだろう。
著者の論はこの後社会論的な展開を見せて、それはそれで興味深いのだけれど、いかんせん文章が硬くて読むのに骨が折れる。
例えば「聖なるもの」と「遊び」は上記の定義において紙一重だとか、文明の発達は「模擬&眩暈」から「競争と運」の優位への流れだ、なんていうあたりはじっくり考えたらかなり面白そうなのだけれど、今回のところはその気力なし(笑)。
いつかまた気が向いたときに改めて読んでみようと思う本だった。
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